2017.06.15 ひとこと言っておきたい
テロ等準備罪が深夜、可決された。
数の優位性を利用して強行採決するのは、多数決の論理の常套手段。政治の世界では、今までにも
数限りない法案が強行採決され、法律として運用されてきた。そして、私達は「ふーん、そうなの」と、
その法案に従ってこの国で生きてきた。このテロ等準備罪は様々な視点からの賛否両論。それも政治
家たち内側だけの議論で収まらず、議員以外の様々な職種、信条、思想を持つ人々がそれぞれに考え、
意見を述べられるほど突っ込みどころの多い、脆弱な、浅い考えの法案だ。賛否両論あるということは、
どのようにでも解釈できる法案だからだ。国会答弁をニュースの断片を見ていても、野党の質問に対し
ても、答えになっていない答え、いや相手を尊重しない意思疎通を欠く(というか能力のない)答え方で、
少し冷静に考えれば大人の会話じゃない。そんなあやふやな議論しかできない法案が、安保法案に続
いてワタシ達の未来を決定づけることとなった。ワタシクシは「これはいかがなものか」と思っている。

大事なのは「国」じゃなくて「民」だよね。政治家は我々「民」のために政治という仕事をしてほしいよね。
この法案が、一人の政治家が歴史に名を残すための思惑で動いている、という低俗なものではない、
と百歩譲って言わせてもらうと、今の政権は「民」じゃなくて「国」のために動いている
・・・・お国のために。
そう、我々「民」は、プライバシーや信条や思想を、お国のために捧げなければならなくなる
・・・かもしれない。ワタクシは「ふーん、そうなの。それでもいいですよ」・・・・とは思わない。

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2017.06.08 ホモサピエンスも困りもの
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Fuji FinePix X100

我々「ホモ・サピエンス」は「想像する」ことができるが、他の人類(たとえばネアンデルタール人)はそれが
できない、つまり、ホモ・サピエンスが他の人類に対し優位性を発揮できたのは、想像力のおかげであると
いう説。「認知革命」というそうです。先日、我々「ホモ・サピエンス」と他の動物との決定的な違いは何か、
ということを、おもしろおかしく解説してくれていた深夜のバラエティ番組で知ったことです。

だから、目の前で起こっている現実の世界だけでなく、主観的な世界(妄想でもある)、それも大勢の人が
共有する『共同主観的』な想像の世界にも暮らせるようになった。それが、伝説や神話、神々、宗教を生み
出し、それを共有する者なら誰もが柔軟に協働する能力を獲得した・・・・そうです。

番組を見ていた最初、「なるほどねー、そうだよねー芸術がそうだもんねー、やっぱホモ・サピエンスって
偉い!」なんて思っていたんだけれど、それが、それ以外のこと、例えば貨幣経済や国境、宗教対立なんて
いう、現代人が抱えている問題のすべてが、ほぼこの「想像力」があるがための問題でもある、ということが
解ってきて、いつのまにやらホモ・サピエンスはこの想像力による虚構に縛られた世界で生きてるんだなー、
となんだか空しくなってきた。空しくなったついでに、ニュースを賑わしている様々な政治的トピックを遠目に
見ていると、そのほとんどが、権力を手に入れた者の主観的妄想と、それに忖度して出世しようとする者や、
儲けようとする輩と、その反対勢力のごく私的な虚構世界に、我々が踊らされているような気がしてため息し
か出ない。いや、そんなことを言っている場合ではない。
今こそこの社会を、こんなくだらない妄想から現実世界に引き戻さなければ、とんでもない未来になってしま
うのではないか、と「想像力」を働かせなくてはならない、と想像してしまうわけです。

2017.01.01 2016年の○と×と、2017年のあけましておめでとうございます
毎年年末の恒例行事、washiaya的○と×・・・・
の記事を年末に書いて大みそかに投稿しようと思っていたら忘れてしまった(トホホ)
なので、年始のあいさつと共に・・・・・

しかーし、昨年一年を振り返ってみると、私事はかなり刺激的な1年となった。
何と言っても○はユーノス・ロードスターである。苦節25年、グジグジと、のたまっていた憧れのオープン・
ツーシーターを手に入れた。もう、そろそろ「親」としての役目も引退の時期を迎え、「個人」として生きていく
算段がついた良いタイミング。これを逃してなるものかと、一基果敢に攻めたのが良かった。(誰を攻めた?)
「憧れ」が「現実」になるのにはかなり「勇気」がいる。「セカンドカー」ならそうでもないだろう。財力があれば
簡単だ。しかし、「ファーストカー」としてのオープンツーシーターだもんね。さて、これからどうなるやら・・・。
久しぶりにカメラを買った。プラベルマキナ。これも○。ラストカメラかもしれない。
新しく出るデジタルカメラにはもう興味はないな。その点古いカメラは楽しいや、刺激的。
でも、まあ、フィルム終焉の時期が近づいているから、いつまで現役で使えるやら。
(使ってるんだけれどね、撮ったフィルムを現像してないだけ)

×は・・・そうですねー、ひとつは子供が巣立っていくというのはやっぱり寂しいもんだね。
それと、やたらとノスタルジックになってきたことかなー。つい、この間まで疲れ知らずでひたすら走っていた
のに、ちょっとペースを緩めると、途端に疲れが実感されて、「ああ、年とったなー」って感じのノスタルジック。
【歳をとると、始まりの事柄に戻っていかなければならないことがわかってきます。あるいは感傷的になれる
ものや何かへと。色々な意味で人生が閉じ、物事が簡単にはいかなくなり、わくわくすることもなくなると、
まあ、どうあらわしてもらってもかなわないですが、そうなるとノスタルジックになっていくものです。】
7月30日の記事にも書いたアメリカの画家、サイ・トゥオンブリーの言葉を再掲載する。
まあ、この先立の言葉に習うなら、×ではないかもしれないな。人生とはそんなものか?

さて、年が明け、今年は現役最後の年となってしまった。(一応の定年退職の年ということね)
まあ、社会人としての区切りの年でもあるので、「立つ鳥跡を濁さず」でいきましょうか。

それでは、本年もよろしくお願いします。


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2016.08.16 戦争の話
最初の広島への原爆投下は、時のアメリカの大統領、トルーマンの指示のもと決定されたのではない。
この核爆弾に関わった上層部の人間の、思惑や自己保身や意思疎通の欠如の積み重ねで行われた
「想像力を欠いた愚行」。NHKの【決断なき原爆投下~米大統領 71年目の真実~】を観てそう理解した。
そのTVプログラムの概略は、原爆開発を秘密裏に計画していたルーズベルトが急死し、その詳細を
いっさい知らされていなかったトルーマンは、軍部からの原爆計画の詳細を文章で提出されても、塾考
も、判断もせず、原爆開発の指揮官・陸軍グローブズ将軍の強い押しだけで実行された・・・・というもの。

なんと恐ろしいことよ・・・・そんなことで、何十万人の一般人が虐殺されるとは。

トルーマンは原爆投下後、ラジオで「これで何万人というアメリカ兵の命を救えた」というようなことを
言ったそうな・・・詭弁である。自らが「大量虐殺を指示した政治家」というレッテルを張られないための。

内田 樹と姜尚中との対談集【世界「最終」戦争論 近代の終焉を超えて】 (集英社新書)を読んでいる。
テロと戦争の違いは何か?戦争は勝敗が決まれば条約が締結され、とりあえずの決着はつく。
テロは永遠に続く。例え「敵の巣窟と思われる場所」を総攻撃したとしても、最高指導者を亡き者にしようと。
だから、これからの時代は「常に戦争状態」であると言う。その大きな要因は、グローバリズムではないか?
グローバリストの「金のある者が偉い」という価値観が蔓延し、さらに「命より金が大事」という呆れた
風潮によって、世界のあちこちが破綻している現状がテロリストを生み、一般人が殺されることとなる未来。
日本の憲法9条はそんな殺伐としたグローバル時代を、「平穏」に生きられる世界でたった一つの条文。
今まで、この条文の庇護の下で平和ボケと言われた我々は、そんな「常に戦争状態」世界で対等に生き抜く
覚悟があるのか?アタクシには・・ない。積極的平和主義なんて・・・ない。この言葉も詭弁だ。

平和主義のアインシュタインは平和主義のフロイトに「ヒトはなぜ戦争をするのか?」を書簡で問うたそうな。
フロイトは返信で「人間から攻撃的な性格を取り除くことなどできそうもない」と答え、アインシュタインは愕然
としたそうな。たぶん、攻撃的でないヒトは種として絶滅するんだろうな。
その攻撃性はどこからくるのか、差別や格差が攻撃性の要因なら、それを知性によって抑え込めるのもヒト。
いや、そんな知性がヒトにはあるはずだ。慈愛?わからないけれどあるはずだ。

【戦争中の暮しの記録―保存版】を買った。そう、巷で話題の「トトねえちゃん」、暮らしの手帖が、高度
成長期の1967年に出した別冊の復刻版。アタクシも「トトねえちゃん」ファンなので、つい・・・。
あとがきに・・・・
この戦争のあいだ、ただ黙々と歯をくいしばって生きてきた人達が、何を苦しみ、なにを食べ、なにを着て、
どんなふうに暮してきたか、どんなふうに死んでいったか、その数少ない記録がここにある。
これが戦争なのだ。それを知ってもらいたくて、この一冊をのこしてゆく。君もまた後に生まれる者のため
に、この一冊をどんなにぼろぼろになっても残しておいてほしい。・・・・・
うん、なんだかんだ戦争して、テロにあって一番損するのはアタクシ達市井の人。だから、その経験を
リアルに残してくれている市井の人達の文章のほうが、政治家の詭弁よりずっと信用できる。

2016年の敗戦記念日によせて



2016.07.14 明治のロールモデル
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OLYNPUS PEN-FT with E・Zuiko 38mm f1.8

明治四十四年八月、夏目漱石が和歌山にやってきた。
大阪朝日新聞社主催の講演会で関西にやってきた漱石が、「現代日本の開花」という演題で県会議事堂で
行われ、講演記録も「夏目漱石全集10」ちくま文庫に残されている。漱石は、講演の中で「戦争以後一等国に
なったんだという高慢な声は随所に聞くようである。なかなか気楽な見方をすればできるものだと思います。
ではどうしてこの急場を切り抜けるかと質問されても、前申した通り私には名案も何もない。ただできるだけ
神経衰弱に罹〈かか〉らない程度において、内発的に変化して行くが好かろうというような体裁の好いことを
言うよりほかに仕方がない」・・・・というようなことを述べている。

なぜ、こんなことを書いているかというと、その漱石が講演した当時の県会議事堂が奇跡的に復元された。
明治29年に建造されたこの議事堂は、新しい議事堂が完成した後、昭和37年、岩出市の根来寺本坊南側
境内に移築されて、大講堂・客殿「一乗閣」として使われていましたが、老朽化と共に放置状態となり、ボロ
ボロになっていたのをやっとのことで修復、公開されることとなったのを機会に行ってきたからです。

明治四十四年、西暦でいうと1911年。日本は漱石の言う、外発的に西洋化し、、それまで熟成し培ってきた
ロールモデルである先人の教えを捨て、文明開化の名でとりあえず前へ進むことを選んだ。漱石の時代の戦
後は日露戦争。それまで列強の食い物とされていたアジア諸国では、アジア人は白人に勝つことが出来るとい
う希望を与えた。そしてとりあえず世界情勢の中心に躍り出ることができた。何世紀にもわたって主権争奪戦
を繰り広げられている百戦錬磨の西洋と伍したと勘違いしている日本人の心の危うさを漱石は憂いている。
ワタシタチの戦後は太平洋戦争。戦争でコテンパンにやられたにもかかわらず、数十年で大きく経済成長を
とげ、再び世界情勢の中心に返り咲いたことには間違いない。しかし、それでもまだ、経済的成長を望むのか?
どこまで成長すれば気が済むのだ?日本人は経済的な豊かさしか幸せを感じないのか?
漱石の時代から100年以上ったった現代の日本人は精神的に成熟したのだろうか?
精神的な成熟、内田樹氏のいう「大人」へと成熟しているのだろうか?

ただできるだけ神経衰弱に罹〈かか〉らない程度において、内発的に変化して行くが好かろうというような
体裁の好いことを言うよりほかに仕方がない・・・・漱石の言葉は今の日本人にとっても重い。
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