2017.10.12 意見
更新が滞っていましたが、元気です。
・・・・てか、書かずにはおれないので書いときます。

首相の、突然の衆議院解散宣言。
虎視眈々と国の最高権力者を狙っていた都知事が「反政権だー」と新しい党を立て、その餌にまんまと騙された
民進党が吸収され、騙された民進党党首は右往左往。予定通りの流れで都知事から総理大臣になるはずだった
某女史も自ら吐いた言葉が災いしてにっちもさっちもいかなくなってあえなく撃沈。そんな、野党のごたごたに
公示前はあたふたしていた与党も一安心。選挙戦前半は自民優勢で事が運んでいる・・・・・
・・・・・というのが、大方のメディアの情報か・・・な。

こんなごちゃごちゃの政争の中、枝野幸男氏が立憲民主党を打ち立てた。
結党の意志をマスコミに報告する際、彼は一人で何のよどみもなくその意思を明確に発表した。
その姿勢にワタクシは感銘を受けた。一人で記者会見をするその姿勢に感銘を受けた。
初めて「まっとうな政治家らしい人」が目の前に現れたような気がした。そして初めて応援しようと感じた。
具体的なことは何も言っていない、実績があるかといえば、そんなことは知らない。印象といえば、
福島原発の事故の際、当時の政府のスポークスマンとして、真摯にメディアの質問に答えていた
姿だけだ。だから、結党の発表の際の姿が、その時の姿を思い出し、単なる判官贔屓からだけかもしれない。
しかし、このワタクシの「勘」みたいなものは案外正しいのではないか、と思っている。

人は相手の言葉や態度を聞いて見て、相手の考えや思いや言葉の裏を推測してコミュニケーションをとる。
人は相手の意思を受け止め、それにこたえることでコミュニケーションをとる。
人は、押さえつける言葉や態度に畏怖を覚え、反発する。
人は相手の眼を見てコミュニケーションをとり、相手を理解しようとする。
人は自分の主張だけを一方的に述べる者を忌み嫌う。

党首討論をテレビで見ていて思った。ほとんどの党首が主張するだけで討論の体をなしていない。
コミュニケーション能力のある政治家っているんだろうか?
コミュニケーション能力のない政治家に、この国の未来を託すことができるのだろうか?

ワタクシは、上からモノ言う政治家や政治集団を選ばない。
ワタクシは、権力にしがみつこうとする政治家を信用しない。
ワタクシは、私憤で相手を引きずり下ろそうとする政治家を信用しない。
ワタクシは、自分のことを棚に上げて、相手の粗を攻撃する政治家は大嫌いだ。
ワタクシは、厚顔で傲慢な政治家は大嫌いだ。
ワタクシは、二項対立で判断せず、落ち着いた政策論争ができる政治家を選びたい。
ワタクシは、スピードより熟考の末結論を出す政治家や政治集団を選びたい。
ワタクシは、相手の意見を聞き、それに答えようとする政治家を選びたい。
そしてワタクシは、自らの筋を通した骨のある政治家を選びたい。

ワタクシは、生まれて初めて、こんなはっきりとした意思を持って投票所に行こうと思っている。

2017.08.02 時代の流れに流される人( Forever Young )
時代の流れというのは恐ろしいもので、2016年12月時点における15~69歳男女のスマホ所有率は
64.5%となり、所有人口は推計5583万人となりました、だそうな。(SEGA ゲームスタイル研究所調べ)
詳細を見てみると、若年層の保有率が高いのは理解できるが、われら50代でさえ、ほぼ半数が
スマホを所有しているのだそう。
身内との連絡にしか使わないガラケーを持って「そんなもの必要ないよー」と、スマホいらない派
だったワタクシも、旧車(NAロードスターのことね)電脳化計画を理由に、ついにiphoneを買った。
ipadを使っていたから、その便利さは十分理解していたが、いや、ほんと、楽しいおもちゃだわ。
ロードスターにはBluetooth対応の廉価なカーオーディオをつけた。
だから、音楽とNavi、電話通話はスマホを介して最新のカーエレクトロニクス。
いやはや、数年前は6連奏CDチェンジャーやら毎年更新しないといけない地図ソフトやら、
ハンズフリー機能やら、高額になるカーオーディオが、スマホのおかげで1万数千円で最新。
なーんも問題ない、ノープロブレム。

カメラ機能がまた良い。
巷ではコンパクトデジカメが風前のともしびになっているらしいが、それが納得できる。
画像サイズが3024×4032ピクセルもあるし、フェイク画像で雰囲気変えられるし、露出やその他
画像処理の基本もできるし(もちろんトリミングも)、動画もきれいに撮れるし、自分だけで楽しむなら
十分以上。超広角やマクロ撮影ができるクリップレンズも買っちゃったから、「ついに」ワタクシの
いつも持ち歩いているカバンから「カメラ」が消えた。(10年以上肌身離さず持ち歩いていたのに)

きゅうりを多量にいただいたので、動画で調理の仕方を教えてくれるレシピサイトを見ながら、数
種類の料理を作ったけれど、動画っていうのが良いねー、わかりやすい。超便利。

暇つぶしにどこでもいつでもニュースを読めるし、見られる。電車の中で老若男女がスマホにくぎ
付けになっている姿、外目には異様に見えるようで、実はそんなこと当の本人は気にしていない。
まあ、どんな人にも何かしらの利便性を感じる機械だからしょうがないよ・・・・罪と罰

スマホを使いこなしている人にとっては「当たり前じゃん、いまさら何を」って言われるけれど、
逆に例えば、おじさんたちは、不便や手間を知っているし、その大切さも知っているからこそ、
その便利さや面白さに心ときめくのだよって、胸を張って言いたいんです・・・・。
そう、竹原ピストルも歌っているじゃないか・・・・

くたびれた言葉で 新しい約束を交わし
萎れた声で 新しい歌をうたおう
満ち満ちた若葉はいつだって
色褪せた枯葉の上にひらくのさ
Forever Young あの頃の君にあって
Forever Young 今の君にないもの なんてないさ  ・・・・てさ。

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2017.06.15 ひとこと言っておきたい
テロ等準備罪が深夜、可決された。
数の優位性を利用して強行採決するのは、多数決の論理の常套手段。政治の世界では、今までにも
数限りない法案が強行採決され、法律として運用されてきた。そして、私達は「ふーん、そうなの」と、
その法案に従ってこの国で生きてきた。このテロ等準備罪は様々な視点からの賛否両論。それも政治
家たち内側だけの議論で収まらず、議員以外の様々な職種、信条、思想を持つ人々がそれぞれに考え、
意見を述べられるほど突っ込みどころの多い、脆弱な、浅い考えの法案だ。賛否両論あるということは、
どのようにでも解釈できる法案だからだ。国会答弁をニュースの断片を見ていても、野党の質問に対し
ても、答えになっていない答え、いや相手を尊重しない意思疎通を欠く(というか能力のない)答え方で、
少し冷静に考えれば大人の会話じゃない。そんなあやふやな議論しかできない法案が、安保法案に続
いてワタシ達の未来を決定づけることとなった。ワタシクシは「これはいかがなものか」と思っている。

大事なのは「国」じゃなくて「民」だよね。政治家は我々「民」のために政治という仕事をしてほしいよね。
この法案が、一人の政治家が歴史に名を残すための思惑で動いている、という低俗なものではない、
と百歩譲って言わせてもらうと、今の政権は「民」じゃなくて「国」のために動いている
・・・・お国のために。
そう、我々「民」は、プライバシーや信条や思想を、お国のために捧げなければならなくなる
・・・かもしれない。ワタクシは「ふーん、そうなの。それでもいいですよ」・・・・とは思わない。

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2017.06.08 ホモサピエンスも困りもの
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Fuji FinePix X100

我々「ホモ・サピエンス」は「想像する」ことができるが、他の人類(たとえばネアンデルタール人)はそれが
できない、つまり、ホモ・サピエンスが他の人類に対し優位性を発揮できたのは、想像力のおかげであると
いう説。「認知革命」というそうです。先日、我々「ホモ・サピエンス」と他の動物との決定的な違いは何か、
ということを、おもしろおかしく解説してくれていた深夜のバラエティ番組で知ったことです。

だから、目の前で起こっている現実の世界だけでなく、主観的な世界(妄想でもある)、それも大勢の人が
共有する『共同主観的』な想像の世界にも暮らせるようになった。それが、伝説や神話、神々、宗教を生み
出し、それを共有する者なら誰もが柔軟に協働する能力を獲得した・・・・そうです。

番組を見ていた最初、「なるほどねー、そうだよねー芸術がそうだもんねー、やっぱホモ・サピエンスって
偉い!」なんて思っていたんだけれど、それが、それ以外のこと、例えば貨幣経済や国境、宗教対立なんて
いう、現代人が抱えている問題のすべてが、ほぼこの「想像力」があるがための問題でもある、ということが
解ってきて、いつのまにやらホモ・サピエンスはこの想像力による虚構に縛られた世界で生きてるんだなー、
となんだか空しくなってきた。空しくなったついでに、ニュースを賑わしている様々な政治的トピックを遠目に
見ていると、そのほとんどが、権力を手に入れた者の主観的妄想と、それに忖度して出世しようとする者や、
儲けようとする輩と、その反対勢力のごく私的な虚構世界に、我々が踊らされているような気がしてため息し
か出ない。いや、そんなことを言っている場合ではない。
今こそこの社会を、こんなくだらない妄想から現実世界に引き戻さなければ、とんでもない未来になってしま
うのではないか、と「想像力」を働かせなくてはならない、と想像してしまうわけです。

2017.01.01 2016年の○と×と、2017年のあけましておめでとうございます
毎年年末の恒例行事、washiaya的○と×・・・・
の記事を年末に書いて大みそかに投稿しようと思っていたら忘れてしまった(トホホ)
なので、年始のあいさつと共に・・・・・

しかーし、昨年一年を振り返ってみると、私事はかなり刺激的な1年となった。
何と言っても○はユーノス・ロードスターである。苦節25年、グジグジと、のたまっていた憧れのオープン・
ツーシーターを手に入れた。もう、そろそろ「親」としての役目も引退の時期を迎え、「個人」として生きていく
算段がついた良いタイミング。これを逃してなるものかと、一基果敢に攻めたのが良かった。(誰を攻めた?)
「憧れ」が「現実」になるのにはかなり「勇気」がいる。「セカンドカー」ならそうでもないだろう。財力があれば
簡単だ。しかし、「ファーストカー」としてのオープンツーシーターだもんね。さて、これからどうなるやら・・・。
久しぶりにカメラを買った。プラベルマキナ。これも○。ラストカメラかもしれない。
新しく出るデジタルカメラにはもう興味はないな。その点古いカメラは楽しいや、刺激的。
でも、まあ、フィルム終焉の時期が近づいているから、いつまで現役で使えるやら。
(使ってるんだけれどね、撮ったフィルムを現像してないだけ)

×は・・・そうですねー、ひとつは子供が巣立っていくというのはやっぱり寂しいもんだね。
それと、やたらとノスタルジックになってきたことかなー。つい、この間まで疲れ知らずでひたすら走っていた
のに、ちょっとペースを緩めると、途端に疲れが実感されて、「ああ、年とったなー」って感じのノスタルジック。
【歳をとると、始まりの事柄に戻っていかなければならないことがわかってきます。あるいは感傷的になれる
ものや何かへと。色々な意味で人生が閉じ、物事が簡単にはいかなくなり、わくわくすることもなくなると、
まあ、どうあらわしてもらってもかなわないですが、そうなるとノスタルジックになっていくものです。】
7月30日の記事にも書いたアメリカの画家、サイ・トゥオンブリーの言葉を再掲載する。
まあ、この先立の言葉に習うなら、×ではないかもしれないな。人生とはそんなものか?

さて、年が明け、今年は現役最後の年となってしまった。(一応の定年退職の年ということね)
まあ、社会人としての区切りの年でもあるので、「立つ鳥跡を濁さず」でいきましょうか。

それでは、本年もよろしくお願いします。


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