2017.08.07 バベルの塔
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ピーテル・ブリューゲル(Pieter Bruegel(Brueghel) de Oude [ˈpitər ˈbrøːɣəl],、
16世紀のブラバント公国(現在のオランダ)の画家。の「バベルの塔」、鑑賞。
画像のバベルの塔は東京~大阪と巡回しているピーテル・ブリューゲルの作品ではない。
ピーテル・ブリューゲルの父親のピーテル・ブリューゲルの作品。(ややこしいが、そういうこと)

息子のバベルの塔も、宣伝効果も功を奏して注目を浴びていますが、精細な描写とリアルな設定で
描かれた作品は、父親だって負けてはいない・・・というか、このころの画家はこれくらいの描写力は
あって当たり前。だからこそ、名画として歴史に残る。米粒に人物の顔が描けるイラストレーターを
テレビの情報番組で紹介していたのを見たことがあるが、もしかしたらその人の作品も大切に保管
していたら、後世、名画になるかもしれない。・・・で、息子の方のバベルの塔は自力で細部を鑑賞す
ると警備員に首根っこをつままれて追い出されるだろうから、そういう細部を鑑賞したければ、鳴門
にある大塚記念美術館に行けばいい。父親のバベルの塔を超至近距離で鑑賞することができる。
ただし、陶板に印刷されたレプリカだから、筆後のエッジが甘いから「描いた」緊張感は皆無だが。

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2017.07.01 天平の柔らかさ
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「出かけよう、日美旅スペシャル 奈良 美仏の都へ」で紹介された聖林寺にある国宝、十一面観音像です。
美しいプロポーションだこと。
天平時代の仏像彫刻といえば、阿修羅像を代表とする興福寺にある仏像群。
どれも美しく、何度見ても飽きのこない造形は、当時の仏師たちのリアリティの追求から生まれたもので
あろうことが、想像できます。しかし、そのリアリティは西洋彫刻のコチコチの大理石を刻んだ彫刻にはな
い、木心乾漆で成形された、木くずと麻布の柔らかさが、観る者の心を優しく包み込むのでしょう。
この十一面観音像の美しさも、2メートルはあろう高さの大きなお姿にもかかわらず、決して人を圧倒する
事もなく、「お慈悲」という言葉が相応しい佇まいでした。
お寺の場所は、紅葉で有名な談山神社へ奈良市内から行くルートの手前、桜井市内を一望できる山の
中腹にある観光ルートから外れた静かな場所。まさに、そんな場所にひっそりと安置されている秘仏です。
ちなみに、観音像の画像は「あの」入江泰吉が撮影した写真をポストカードにしたもの。

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2017.05.15 難解さを楽しむ
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国立国際美術館で開催されている「ライアン・ガンダー ― この翼は飛ぶためのものではない」という
展覧会を観に行ってきた。ライアン・ガンダーとは「誰だ?」
作者は、1976年イギリスに生まれ、母国とオランダで美術を学び、2000年代初頭から世界各地で
個展を開催するとともにドクメンタなど著名な展覧会にも参加してきたコンセプチュアル・アーティスト。
日本では初個展だそうだ。いやー、コンセプチュアル・アートちゅーのは本当に難解じゃのー。

まず、「コンセプチュアル・アート」ちゅーのはなんぞや?という話ですが・・・・
Weblio 辞書によると、1960年代以降の現代芸術の潮流の一。作品における物質的側面よりも観念性・
思想性を重視し,記号・文字・パフォーマンスなどによる表現を目指す芸術。・・・だそうな。
まあ、ワタクシが最も尊敬する芸術家、マルセル・デュシャンがそうですわな。だから、この作家もこの
流れの中にいるわけですから、ワタクシは即座に「面白かったよー」とか、「良かったよー」という感想を
述べるべきなのでしょうが、実はそんなに簡単に理解できない。つまり、わからない。わからないから、
事前に入手したテキストに書かれている「題名」を確認しながら作品を見る、という非常に時間をかけて
ゆっくりと観ないと、その「良さ」というか作者が言わんとしていることがこちらに伝わってこない難しさ。
仮に、題名を知ったとしても相手は外国人。日本語の題名は「翻訳」だろうから、奥に潜む真意のほども
すべてわかるわけではない。情けないのー。(翻訳本を読んでいるときの違和感に似ている)

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デュシャンも初見ではなーんもわからなかった。「こいつは何かおもしろいこと考えているぞ」という曖昧な
興味から、自伝や研究本を読んだり、今まで日本で開催された回顧展やら公立美術館にある所蔵作品を
何度も見て、やっと自分なりにデュシャンの脳みその中を解釈したような気になっている。だから、この作
家の作品も今回の展覧会だけじゃ、なんか消化不良な感じ。かといって、これからも注目したいか、といえ
ば、残念ながらそうでもない。そうでもない理由は、こっちが歳をとりすぎた。情けないことに脳みそが固ま
ってしまっているから柔軟に対応できない。脳裏に浮かぶ言葉は「次世代」。そういえば、見学者のほとん
どが、すべてと言っていいぐらい作者と同年代か、それより下の年齢。小難しい理屈など、どこ吹く風。
きゃっきゃしながら楽しんでいる若い女子の二人連れの姿を見ているとなんだか羨ましく、本来の美術を
愛好する姿に感じられた。
あ、そうそう、楽しめるっていう意味では、「あまりにも英国的というわけではないが、ほぼ英国的」という作
品や「僕はニューヨークにもどらないだろう」という作品は楽しめた。どんな作品かは言わないが、能動的に
鑑賞しさえすれば、必ずそばにいる監視員の人と会話ができる(笑)。もしかしたら、このような表現がコン
セプチュアル・アートの醍醐味かもしれない。それに、作品を観る前に、作者がインタビューを受けながら
自作品を解説しているビデオを流しているので、それを見てから会場を回る方がより楽しめるかも・・・。
2017.05.07 写真フェスティバル「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2017」
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GRⅡ

毎年5月になると京都で写真フェスティバル「KYOTOGRAPHIE」が開催されている。
なんだかんだと、3年連続でこの写真祭を観に行っている。
ゴールデンウィークの京都は観光地以外は人出も少なく、案外ストレスなく楽しめる。
今年のテーマは「LOVE」。まあ、そんなテーマにとらわれることなく、気になる作家の作品を楽しんできた。
よろしかったのは、沖縄出身の山城知佳子の三つの作品。
特に感銘を受けたのが、2009年に制作された「あなたの声は私の喉を通った」
サイパン戦玉砕を体験した沖縄の高齢者の語りを、自らの口を通して再現しようとする映像作品で、
彼女自身がモデルとなり、老人の声が彼女の口の動きと同化している様を映像化したものであったが、
声だけではなく心の動きまでも再現したように涙を流すシーンは、彼女が、死者が「憑依」したイタコと
化したかのように、老人が語る以上に、その壮絶な体験を感じられた。
過去を無視して、国際情勢を声高に叫び、国民に恐怖心をあおる輩どもに、見せてやりたい作品。
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2016.11.10 達筆にもほどがある
【生誕300年 若冲の京都 KYOTOの若冲】京都市美術館にて

今を時めく伊藤若冲。なぜにこれほどの人気を博すのか?
たぶん、絢爛豪華、キュートにして微細な「樹下鳥獣図屏風」や超具象的表現の「群鶏図」にみられる
尋常じゃない細部の描きこみが、普通の日本画じゃない「奇想の画家」としても評される特殊性からだろう。
しかし、この二作品、それはそれは敵もさる者(主催者のことね)、同時に見られるようなプログラムは組ま
ず、この時期(つまり11月中旬)は両方ともみられない端境期で、拍子抜けするぐらいあっさりとした水墨
画のオンパレード。だからか、入場者も言うほどのことはなく、わりとじっくりと観られることができた。
で、その水墨画であるが、今まで見てきた水墨画と比べても尋常じゃない線のきれいさと墨の濃淡の美しさ!
例えば、アタクシが宇宙一の水墨画だと思っている長谷川等伯の松林図屏風を隣に持ってきたとしよう。
たぶん、松林図屏風の荒々しい筆さばきや墨の色の安っぽさが眼についてしまうだろう。
まあ、それほど若冲の水墨画は繊細にして丁寧。高級感がある。全品見応え十分。

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それはそうと、一幅の水墨画を観ていてふと思った。水墨画って基本、一発勝負の世界。いらん考えを持
たずに一基果敢に攻める絵画。観てるだけじゃもったいないので、もし自分がその絵を描くとすると、どこ
からスタートして、どこで終わるのか妄想してみた。
例えば、この作品。重なった二羽の鶴を描いた作品だが、あなたならどこから攻める?

まず、薄墨で手前の鶴の胴をひと筆で一気に円を描き、続いて尾っぽを濃い墨でちゃちゃと描き、いや、ま
ず足か?それとも、尾っぽのグレーの部分か?まあ、とりあえず、細い筆に変え、頭くちばし、奥の鶴の頭
部を一気に描き、筆を刷毛に変えて、地面のニョロニョロした線をサアーッと引いて、また、細い筆に変え、
手前の鶴の嘴、足の点々、ニョロニョロの上に重なるように点々を打ち、他、細部を仕上げて一著上がり・・
・・・・その間五分。
なんて、アタクシできっこない。第一、完成した作品を見ながら文章を書いていても「?」と迷う部分があるく
らいだから、自分ではできないけれど、若冲になった気分で制作の追体験、バーチャル制作っていう面白い
遊びを発見した。まあ、何点かやってみたけれど、実際にはできっこないから途中で空しくなったけれどね。
観終わって、若冲って筆達者だなー思った。いや、筆記用具として、筆と墨を使っていた時代の日本人はみ
んな筆達者。だってそれを使うしかないんだもの。だから、毎日使っていると自然と筆・墨・水の使い方を体
が覚える、基礎ができている。もう、現代日本人とはベースが違う。現代では毛筆自体、伝統工芸になっ
てしまった。「筆達者」という言葉も死語にちかいか、特殊な語句になってしまった。こんな風にパソコンで文
字入力が当たり前になって、最後には話し言葉を文字に変換すことしかしない人間の時代が来たら…。

杉本博司のロストヒューマンじゃないけれど、文字を書かなくなった人類は、どんな絵画を残すのだろう。