2016.12.03 田烏海岸の印象
005-2175.jpg 005-2184.jpg 005-2179.jpg 005-2195.jpg
FinePix X100

2016.11.07 異文化交流
神長官守矢史料館は藤森建築としての魅力に加え、諏訪大社の神長官として、祭祀を司っていた守矢家に
代々受け継がれている史料を展示している。これにも興味を持っていた。それは、アタクシ達関西人はどうし
ても「神様」といえば「古事記」にみられる「農耕神」。収穫祭の祭事をイメージしてしまい、供物のほとんどが
穀物とそれを加工したもの、魚介類。例えば、奈良公園の鹿は「神聖化」されているように、獣類を供物にす
ることはない。農耕文化が勢いを持った比較的新しい時代からの神事。それに比べると、この資料館の展示
を見ると、鹿やイノシシ、ウサギなどの獣類が貢物の中心。これはどうみても弥生以前の、縄文時代から続く
土着信仰が息づいているように感じられる。これは興味深い。アタシ達関西人からみれば異文化。
アタシ達関西人はたぶん、文明という社会が発生した後の、新しい時代に中国・朝鮮半島からやってきた末
裔。この地域の人々はそれ以前の縄文人の末裔。それでは縄文人の祖先は、どこから日本列島にやってき
たのだろう。最近、その歴史が解明される糸口をつかむ研究が発表された。

現在の日本列島に住む人々は、形態や遺伝的性質から大きく3つの集団、アイヌ、本土日本人、琉球に分
かれる。この3集団にはどのような成立ちがあるのだろう。数千年、土に埋もれていた縄文人のDNA配列解
析から現代へとつながる歴史が見えてきた。
これまで、縄文人の起源が東南アジア、北東アジアのいずれかについての議論が長く行われてきた。形態
的には東南アジア人に近いが、縄文人のミトコンドリアDNAと現代人のDNAを用いた遺伝学的研究からは
北東アジア人に近いという結果が出ていたのである。今回私たちが得た配列を現代人と比較したところ、縄
文人はいずれにも属さず、東アジア人の共通祖先から分岐したという系統関係になった。
つまり縄文人は、これまで考えられていたより古い時代に他の東アジア人集団から孤立し、独自の進化を
とげた集団である可能性が出てきたのである。縄文人がいつ、どこから日本列島にやってきたのかを知る
ためには、今後、多くの縄文人と他の地域の東アジア古代人の核ゲノムを解析することが必要である。
(http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/087/research/1.htmlより抜粋)

アタクシは縄文文化が好きだ。それはたぶん、土器や土偶のデザインがどうも理解しがたいからだ。
上記の研究成果を読んでなるほどと思った。縄文美術の「理解しがたさ」は、我々現代人のDNAとは異な
るところからきていたのだ。つまり、私達関西人にとっては異文化。神長官守矢史料館のあと、茅野市にあ
る尖石縄文考古館の展示を見て、その異文化の「わからなさ」と「パッション」に圧倒された。

005-2083.jpg
2016.10.23 この人が好きだ!
005-2051.jpg

「この人が好きだ、といえる日本の著名人をあげよ!」と問われれば・・・・本人と会って話したことは
ないのだが。うーむ、いっぱいいすぎて難しいなー。そのうちの一人が建築家・藤森輝信氏

藤森照信は、日本の建築史家、建築家。東京大学名誉教授、東北芸術工科大学客員教授。東京都
江戸東京博物館館長。専門は、日本近現代建築史、自然建築デザイン。日本建築学会の建築歴史・
意匠委員会委員を歴任。(Wikipedia)

藤森氏が設計した建築を実際に観てみたい、という思いは、氏の著書「タンポポ・ハウスのできるまで」
や赤瀬川原平著「吾輩は施主である」を読んでからずっとあって、特に処女作「神長官守矢史料館」は
一度は訪ねてみたいと思っていた。それがやっと叶えられた、嬉しー。

005-2006.jpg

初めてこの建築を写真で見たときは衝撃的だったなー。
4本の原木をそのまま柱に使い、それが屋根を突き破ってるんだもの。正面から見ると「角」。
全体のイメージも「古城」を感じさせ、鉄とコンクリートやガラス、アルミニュームをふんだんに
使い四角い箱を組み合わせた近代建築(アタクシが知る限りの)の常識から逸脱したデザインは、
この人が建築史家として歴史を研究してきたうえで出てきた答えなんだろうなー、とも思った。
歴史を素直に受け止め、流行り廃りや、世間の評判とは遠いところで思考し、現実化する芯の通
ったものの考え方。ブレテない、そういうところが好き。
案内の方の説明では、藤森氏は最初、この建物を土と木と石で作りたかったんだって。しかし、
資料を所蔵するためには鉄筋コンクリート造でないと許可が下りないので、やむなくコンクリートを
使ったらしく、どうしても「土」の素材感がほしかったので、コンクリートに色粉とわらを混ぜ、そんな
今まで誰もやったことのない材料を開発したそう。「これはこうでなければならない」と決めつけず、
どうにか「そのようにする」柔軟さ。そんなところも好き。

藤森氏はこの作品以降、共同設計者の方々と27、彼だけの設計で10の建築作品を残しているが、
最新作は岐阜県多治見市にある「モザイクタイルミュージアム」。画像を見る限り、これまた凄い。
「山」を縦にぶった切ったようなデザインなんだもの。これもまた見に行きたいなー。

2016.10.22 縄文萌え
005-2025.jpg 005-2087.jpg 005-2073.jpg 005-2021.jpg
FinePix X100

2016.10.14 染みついた臭い
9月24日に国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区が整備され開園されたのをご存じだろうか?
1983年に石室内の彩色壁画のひとつである玄武が発見されて、世間や学会から注目を集め、その後、調査
修復を経て、キトラ古墳壁画保存管理施設(キトラ古墳壁画体験館四神の館内)を中心として、その一帯が
公園として開園したのです。そのキトラ古墳壁画が一般公開されているのを知って見学に行ってきました。

こういうたぐいのモノは、展示室で、レプリカだのビデオ映像や原寸大写真なんかを見学して、なんとなく
見た気になって帰ってくることはあったのだけれど、今回のように「期間限定」「ほんまもん」ともなると、
ありがたみがわく。で、ありがたく約10分、現在修復が完了している石室の天井(天文図)、南壁(朱雀他)、
西壁(白虎他)をガラス越しに見学させてもらったわけですが、石室からはぎ取られ、一枚のフレスコ画
(漆喰に描かれているから)として見るしかないから、色顔料や金泥が長い年月が経っても残っているのを
見ることができた、というしょうもないことには感心はしたが、展示室にあった石室のレプリカ(内部も再現さ
れている)に較べると、見た目には、1300年もの月日が経ったリアリティを感じることはできなかった。
そこで、アタクシは無理やくたにリアリティを感じようと、ガラスに近づいて臭いを嗅いでみると、洞窟なんかで
臭うカビ臭い石の臭いがふとした。ふとした気がしたのでもう一度臭ってみるとやっぱりそのような臭いがする。
「おお、これは1300年のあいだに石室壁画に染みついた臭いだ」と確信したアタクシは隣にいた連れ合いに
「・・・・のような臭いしない?」と問うてみると、「しないよ、きっと周りにいる人達の加齢臭よ」(確かに見学に
来ていたのはアタクシのような世代の人ばかりだ)と一蹴されてしまった。諦めきれずに、近くにいた関係者に
問うてみると「そんなことはありません」とニコニコしながら全否定され、アタクシの1300年のリアリティの思い
はあっという間に砕け散ってしまった。

絵画としては繊細な線描が印象的で、筆を用いた絵画手法が技術的に完成されていて、人間の手業は古代人
だろうが現代人だろうが大差ないんだな-、と感心した。できることなら、1300年前のできたてほやほやの石室
内を再現してくれたブツを見てみたいとも思った。
今回の公開は第一回。第二回、三回とありそうなので、興味のある方はぜひどうぞ。
そして、もし、「1300年のあいだに石室壁画に染みついた臭い」を感じた方はご一報ください。(笑)

005-0001222.jpg
展示室にあった石室のレプリカ、公開されている壁画は当然撮影禁止です