2009.09.24 モネの前衛
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PEN E-P1 with E.Zuiko Auto-T 100mm F3.5

今、読んでいる 絵画の二十世紀 前田英樹・著 NHKブック は
非常に興味深いことが書かれている。・・・ていうか、「あ、そうか、そういうことだったのか」と納得できる。
私は印象派が好き、といってもルノアールは大嫌いである。
印象派の画家と言われるカイユボット、ピサロ、ギヨマン、シスレーなんかもピンとこない。

やっぱりなんといってもモネである。
この本の最初もモネからスタートしている。
それもモネのライバルはカメラだと言うのである(平たく乱暴に言えばね)
当時、写真機の登場は画家達にとって、大きな脅威であったことは想像に固くない。
だって、今まで、「現実の再現を提供する」という
食い扶持を写真の登場によって絶たれたわけですから。
しかし、写真は「一瞬」を記録するだけの機械。
カメラという機械は「一瞬」しか「見る」ことができない。
それは決して「現実」ではない。
人の「見る」は決して一瞬ではない。
だから、写真は「見て」はいない。

印象派(モネ)は、写真機の登場によって沸々とこのライバルに闘争心を抱き、
「その時の印象」を捉えるために自分の視覚を純粋に機械化した。
見ることを機械化したと言っても良い。
そこにあるのは「視覚のリアリティ」であって、写真機では絶対表せない世界。
ルーアン大聖堂の33枚の連作はその証拠にすさまじいほどのリアリティの追求である。
どんなことをしたかというと、彼は聖堂に当たる陽光と、
それが作り出す陰影の時間経過による変化と効果にのみ集中して取り組む為に、
キャンバスを複数枚並べ、太陽の動きと共に
画家自身が移動しながら制作されたことが知られている。
つまり、「今、自分が見ている大聖堂に最も近い情景の描きかけの作品を選んで、
それに筆を入れる」ということを毎日やっていた、ということ。
これはもう、人間の視覚とは何か、を絵の具を使って研究した者の領域です。視覚の研究者。
晩年は、その機械化したモネの眼(レンズ)も充分に発揮できなくなってしまったけれど、
逆に味のあるレンズに昇華し、
絵画史上類を見ない美しさの「睡蓮」を完成させることができたのでしょう。
人の「視覚」を残すための絵画
モネの残した絵画はカメラの登場で新たな地平を目指した前衛なのです。
だから、私はモネが好きなのです。

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