2010.04.10 松林図屏風は仏である
長谷川等伯・京都展、見てきましたよ。

いの一番に「松林図屏風」の感想から・・・
能登時代の仏画や肖像画、上洛後の障壁画などに続いて、
30年の時を越えて私の前に現れた松林図屏風は(30年前に東京で見た)・・・・
うーむ、言葉にならない、思いつかない!
宇宙一の絵画・・・そう、今はそのように言っておきます。

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左隻
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右隻

仏画や肖像画、障壁画など、水墨画以外の等伯の描いた作品は言わば「仕事の作品」。
クライアントを喜ばせるようなスーパーテクニックや、狩野派の連中に負けまいとする意気込みや、
世が世なら彼らの仕事を食ってしまおうとする野心が見え隠れし、
(こっちが事前に略歴をインプットしていたこともありますが)
作品の質の高さに感銘は受けても、魂を揺り動かされるまでには至らない。
あえて言います、松林図屏風は違う、絶対違う。
仕事の作品じゃない、等伯が自分のために描いた作品です。
全ての筆あとに魂がこもっている。
いや、この紙の上で等伯の行った行為は、等伯自身の経験や芸術感、人生、すべてが込められている。
大げさで、情緒的すぎるかもしれませんが、私はそう思える。
それは、私が歳をとったからそう見えるのかもしれない。
30年前、この作品を見たときは「感銘」を受けたけれど、「感動」はしなかった。
しかし、今日は違った。「感動」した。一瞬ジーンときた。
こんなことは初めてかもしれない。
人混みの中、集中してじっくりと対峙できたわけでもないのに、ジーンときた。
ガラス張りの向こうに静かな空気が漂っていた。作品が、無音ではあるが濃密な音色を奏でていた。

この作品は諸説様々あって、図録の解説を読むと、今のところは「本画のための草稿」ではないか?と
言われているそうですが、そんなことはどうでも良い。長谷川等伯もどうでも良い。
この作品自体が私にとっての仏である。神である。
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PEN E-P1with M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8 方廣寺辺りの路地

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