2010.09.20 悪趣味の勧め
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青写真専用虫眼鏡カメラ 天候・快晴 露光時間10分

デジタル信仰のアンチテーゼとしての青写真専用虫眼鏡カメラ(カメラオブスクラ)。
自分が何故このようなローテクな、まともに写りもしないカメラを作って喜ぶのか考えてみました。

最近、荒俣 宏のアラマタ美術誌・新書館 という本を読んで、
その本の中に 差別する美学 - ヒトはなぜ悪趣味を求めるのか という章があって、
荒俣氏はその前段でこのように語っています。

・・・ 前略 ・・・ 美学における最大の差別用語といえば、普通は「醜い」という言葉を連想するかもしれません。しかし、「醜い」ということは、じつに非常にパワフルな概念でありまして、差別という体制内のランキングというよりも、体制を越えた二元論の匂いを発散しています。つまり侮辱的な言葉ではなく、敵対的な言葉なのです。神に対する悪魔の位置にあります。ところが、そうではなく、ひたすら卑下されるべき「劣等美学」というものが存在します。これが、「悪趣味」です。
悪趣味とは、醜いのではなく、趣味が悪い、つまり「美がわかっていない」ことを意味します。
この洗練されないバッドテイストこそは、差別された美のあり方といえるでしょう。差別されたバッドテイストは、ある与えられたシステム内で評価されるかぎり、その立場を救済することは不可能です。この差別を解消するためには、前提にある評価方式を変更しなければなりません。 ・・・ 中略 ・・・ 
早い話が、女性が足をあらわにする、という下品な行為に対する批判の歴史です。かつては西洋でも東洋でも、女性がふとももをあらわにするという行為は、礼法や社会規範の逸脱でありました。反則でありました。しかし、あらわにされた脚に美しさを感じる世代が育った1920年代以降、社会の採点システムが「脚を見せること」を反則とはせず、魅力の新発見の一部に加えて以来、劣等美学のランク付けをされないようになりました。評価方式が変わったのです。したがって、21世紀に生きるわれわれは、むき出しになった流線型の脚が「悪趣味だ」といった場合、こう反論するでしょう。
「悪趣味だって?いったい、どこが?」と。 ・・・ 後略 ・・・                    荒俣 宏のアラマタ美術誌より抜粋

写真機材の歴史は、記録する、という評価基準においては洗練された画像が高い評価を得、
そのための技術革新が精密機械となり、フィルムとなり、そしてデジタルとなり、もうこれ以上無理って感じ。
その「洗練された画像」が写真の評価がカメラの進化と言えるわけですが、
ここへ来てその様相は変わってきました。
「写らない」魅力、つまりバッドテイストの魅力というのが定着してきました。
各種デジカメに「トイカメラ」風のエフェクトをかける機能が標準化されていることでもわかりますね。

私が、青写真、そしてこんなカメラもどきを作って喜んでいるのも、この「バッドテイスト」に惹かれるからでしょう。

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