2011.05.04 ニュードキュメンタリーとJIN -仁-
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SONY NEX-3 with F.Zuiko Auto-T 70mm F2

「日本芸術写真史―浮世絵からデジカメまで」をやっとこさ読み終えた。

期せずして日本写真史の現代の最右翼、ホンマタカシ氏の「ニュードキュメンタリー」という括りでの展覧会。
そして、「ホンマタカシ Diaries 2010~2011」
何だか良い。「よくわからない」から良い。
「よくわからない」というのは、一枚の写真が饒舌でないという意味。
いや、連作を並べられてもなんだかはぐらされているようで、そこが心地よい。
それを「ドキュメンタリー」とか「ダイアリー」という記録性を想像させる題名をつけられても、
「そうなんだけれどね、そうじゃないみたいな気もするんですけれど、どうなの?」って感じ。

ところで、JIN -仁-
おもしろいのでずっと見てるんですが、本日の話題はタイトルバックの写真。
幕末から明治にかけての東京の風景写真が、現代の映像と重なり合っているヤツ。
アノ写真、日本写真史の最初期、純粋に当時の風景を記録した写真。
単体で見るとそれほどリアリティを感じない古い写真も、
それが、百数十年後の同じ場所に重ねて見てみると、時間という軸が加わって真実みが増す。
何だか良い。「わかりやすい」から良い。
この古い写真も、いわばドキュメント。

写真という伝達媒体は、日本に上陸してから、「撮られたモノがドキュメントであるのか、ないのか?」
のハザマをずーっと行ったりきたりしているような、そんな歴史です。
それは、写真を撮る立場でも、見る立場に立っても同じです。
時には、それを捨てようと絵画に近づいたり、逆に記録に徹する事を心情にしたり、
見る側もそれを信じたり、信じなかったり。
江戸時代最後に撮られた風景は、その場所を撮った撮影者も、
その写真を見た同時代の庶民も、素直にそのドキュメントを信じ、感嘆したことだろう。
現代の写真家であるホンマタカシの写真は、素直にドキュメントなのだろうか?
その写真を素直にドキュメントとして見ない私は何を信じているのだろう?
ビン・ラディンを殺害し水葬したと、事後の現場の映像だけを発表したアメリカ政府。
彼は本当に死んだのだろうか?

写真とは「そうなんだけれどね、そうじゃないみたいな気もするんですけれど、どうなの?」
そんなところが最大の魅力なのかもしれないな・・・・
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