2011.05.20 青木繁がやってくる
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もうすぐ、青木繁が京都にやってきます。

没後100年 青木繁展―よみがえる神話と芸術
京都国立国際美術館
5月27日(金)~ 7月10日(日)

美術館の展覧会紹介ページをコピペすると・・・・

わが国近代絵画史上「天才」と呼ばれ、わずか28年の生涯に幾多の名作を残した青木繁。
関西ではいまだ開催されたことのない回顧展が、没後100年を経て実現します。
代表作はいうまでもなく、現存する油彩画70点を軸に、水彩画・素描160点を加えた
空前の規模で構成するとともに、没後その伝説の形成から今日にいたるまでの貴重資料も加えます。
その生涯と芸術の全貌に迫る待望の展覧会。

これは期待度大です。
なんせ、「現存する油彩画70点」が一挙に見られるんですから・・・・
パンフレットを飾る「海の幸」(重要文化財)の作者、青木繁は、1882年、今の福岡県久留米市生まれ。
若くして明治期の洋画壇に、日本の古代神話をモチーフにした作品をひっさげて登場した天才。
この画家の人生ほど、ベタなドラマに似合いそうな人生はない。

武士の系譜を引く家系の長男として生まれるものの、絵描きに憧れて若干16歳で東京に家出、
結核を患うも東京美術学校に入学してその志を実現していく。
家出同然で上京したため、実家からの援助も乏しく、激貧生活を送りながら完成させた
「神話画稿」が白馬会のコンクールで白馬会賞を受賞し、一躍画壇デビューを果たす。
そんな彼にも同じ画学生でもあった福田たねという恋人ができ、
美術学校卒業後、彼女や、青木の良きライバル坂本繁二郎らと千葉の海縁で合宿生活をしながら
後に重要文化財ともなる「海の幸」を発表し、高い評価を得、彼の人生の絶頂期を迎える。
しかし、それもつかの間、結婚という形をとらずに青木とたねの間に子どもができるが、
青木には二人を養う甲斐性もなく、また、発表する作品も落選続き、父親が亡くなり、
挙げ句の果てには二人を残して帰郷してしまう。
父親亡き後、故郷の家族を養う事もできず、郷里の家族とも別れて天草、佐賀などを転々とする
放浪生活を送りながら絵は描き続けるが、もはや画家としての繁のピークは過ぎている。
心身ともに病んでいた青木は1911年(明治44年)3月、入院先の福岡市の病院で死去した。
満28歳8か月の若さであった。

溢れる才能を閃光のごとく開花させ、消えていった青木繁の生涯は、
実にドラマチックで魅力的な人生である。
関西のみなさん、そんな天才の作品を見に行きましょう。

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