2011.06.17 朱色の輪郭
「こんなの絵じゃないよ、何、勉強してきたんだい」
美術系進学予備校教師・布田は、彼の絵を見てこう評した。
彼は布田が何を言っているのか、まったく理解出来なかった。

彼は憧れの東京の美術大学合格を目指して、地方の予備校で毎日のように絵を描いてきた。
1年目の受験には失敗したとは言え、そこでやってきたことにはそれなりの自負心もあり、
いっしょに上京してきた仲間達と共に、「やってやろうじゃないか」という意気込みだけは充分であった。
それが、彼の東京での最初に描いた作品の評価が「こんなの絵じゃないよ」であった。

布田はラファエロの画集を彼に見せながら・・・
「あのね、別にどんな描き方しても良いんだけどね、見て描こうよ、ね!」
「この画家、知ってる?知らないの?ラファエロっていうルネサンスの画家だよ」
「絵の勉強をするっていうのは、見て描くことが基本なの、ね!」
「君は、そこがわかってないみたいだね。何かを表現するっていうのは、観察することから始まるんだよ」
「眼で観察して、脳で消化して、それが手に伝わって画面に現れるのが絵画なんだよ」
アトリエの2階にある薄暗い屋根裏部屋のような部屋で、
奈良出身の、関西弁でしか会話したことのない彼は、
布田の冷たい口調に違和感を感じながら、ただ聞くことしかできなかった。

確かに、それまでの彼の描いてきた油絵を見てみると、モチーフの形を忠実に再現しようと試みた形跡はなく、
曖昧に面取されたそれぞれの形が、極彩色の色面によって塗り分けられているだけで、
身勝手で薄っぺらい、リアリティのない作品と評されても、返す言葉もないのは当然であった。
aoki005.jpg

彼はいつものように下宿を出て予備校のある街に向かう電車に乗った。
「こんなの絵じゃないよ」
昨日の布田の言葉が頭から離れることはなく、気持ちの整理ができない。
「じゃ、今日からどんな絵を描けばいいんだよ」
いつも降りる駅を通り越し、終点の池袋駅に降りた彼は、
ブラブラと目的もなく歩いていると、どこにでもありそうな小さな古本屋を見つけた。
雑然とした店内を何気なく覗いてみると、布製の箱に入った豪華な画集が一冊、目に入った。
「青木繁 画集」
どこかで見たことのある名前。「青木繁?そう言えば中学校の日本史で習ったっけ」
彼はその画集を箱から出し、見たことのある「海の幸」や「わだつみのいろこの宮」の作品に混じって
朱色の輪郭がスピード感のある線で描かれた自画像の作品が目に止まった。
その作品は、暗闇の金屏風の背景をバックにして描かれた自画像のようであるが、
最後に朱色の線を入れたのであろう、その線は見る者に強い印象を与えていた。
それは、本来、主題であるはずの自画像が表層的な記号でしかなく、
青木自身が、自らの身体行為を、最後に直接画面に残すことによって、自らの存在を表明している肖像画であった。

「凄いな、輪郭線が朱色なんて・・・、それにどうして朱色なんだ」
しかし、この時の彼には、青木繁のこの朱色の意味がまったくわからなかった。
ただ、年齢が自分とそれほど変わらない明治の若者が、自分の姿を通して何かを表現しようとしたということ、
そして自分の描いてきたモノは、表現とはほど遠い、単なる絵の具の塗りたくったモノでしかないことだけは、
朧気ながら理解することはできた。

彼は、昨日の布田の言葉をもう一度頭の中で思い出しながら、「青木繁 画集」をレジに持っていった。

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