--.--.-- スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2012.01.07 日本の感性
今ね、「日本美術を見る眼」東と西の出会い 高橋秀爾・著 岩波現代文庫を読んでるんだけどね、
これが結構おもしろい。
西洋美術史家の著者が、著名な絵画を通して、日本人と西欧人の感性の違いを説いてるんだけど、
読んでいて「ああ、私は日本人なんだなー」と感心するコトしきり。
途中までしか読んでないけれど、あまりにも納得してしまったのでひとつ紹介します。
これ、写真撮るのが好きな人なら分かると思うなー。そして絶対参考になると思います。

花とか綺麗な風景(花鳥風月とか山河とか・・)撮りますよね。
その時、構図考えますよね。フレームにそのモチーフをどんなふうに入れようかとか・・・。
この「構図を考える」という部分で、絵描きも同じ事を考えますよね。
この時に日本人の絵描きは、西洋人とひと味違う「感性」を見せる。
(あっ!この違いは西洋文化と日本文化が共鳴しあった江戸後期以前の話です)
「感性」・・・なんとも曖昧な言葉だけれど、理性では抑えられない無意識・無自覚の脳内プロセス
日本人の絵描きさんが持っている無意識・無自覚さの現れが「垂れ枝モチーフ」だと著者は言う。
なんのこっちゃ?って言わないでね。
これが良い例なんだって・・・・

tareeda001.jpg

左は司馬江漢という江戸後期に、いち早く油絵を勉強して西欧絵画を学んだ日本の絵描きさん。
右はその江漢が自作の手本にした、オランダで出版された「人間の職業」の一節「樽作り職人」
銅版画が油絵に変わっていますが、主役級はほぼまんまの写し。
遠くのモノを小さく描くルネサンス以降の西欧絵画に取り入れられた遠近法も、
お手本に習ってそれ風に描いている。描画材料の油絵の具を使っただけじゃなくて、
「現実に見えるように描く」という考え方もしっかりとお勉強できているわけだ。
しかし、江漢。最後に気を抜いてしまった。いつもの癖がでてしまった。
画面左端に木を入れてしまった。入れてしまったからには、枝も描かねばならぬ。
描くなら画面からはみ出した方が良いだろう。垂れ枝を画面の上の方にちょこっと入れてと・・・。
この画面からはみ出したというか、画面の外から現れる枝やら花を「垂れ枝モチーフ」。
これを著者は日本的感性の表れだという。なんで?と思う人、数々の日本の名画を思い出して頂きたい。
hanafuda001.jpg

日本人なら誰でも知っている花札を例に挙げてみると、
ねっ、画面上部からモチーフが入ってくる札のデザイン結構あるでしょう?
印象派以前の西欧絵画には、こんな「垂れ枝モチーフ」なんてないんだって。
整理整頓、モチーフをキレイに画面の中に納めちゃう。
西欧人画家は、枠の中に「納める」ことで構図を考え、
日本人画家は広がる世界の一部分を切り取ることが構図と考えているのだろうか?
(そういえば、写真の世界も「風景を切り取る」ってよく言われるよね)

kouhaku002.jpg

そこで、何故自分が「日本人なんだなー」って思ったかというと、
上の紅白梅図屏風の白梅の、豪放、大胆な「垂れ枝モチーフ」の究極の美しさはもう、たまらんぜ!と思うし、
この日本的感性に強い影響を受けて、それに習った構図で油絵を描いているのが、わたしの好きなモネ。
なんで自分がモネが好きなんだろう?っと思っていたんだけれど、日本人の感性に刺激を受けて
自分の表現にしたこの画家の思惑に同調していたんだね。だから納得。

この本、絵画を通して「なるほどねー、わたしゃ、つくづく日本人だなー」と感心させられる部分多く、
後日、機会があればもう少し紹介したいと思っています。が・・・
読んだ方が早いか・・・是非!
Secret

TrackBackURL
→http://washiaya.blog72.fc2.com/tb.php/1803-367f37d6
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。