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2012.01.23 伝統を受け継ぐもの
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日本と西欧の違いを絵画を通して紹介した
「日本美術を見る眼」東と西の出会い 高橋秀爾・著 岩波現代文庫
読み終えたんですが、最後までおもしろかったし、絵画を通した日本文化論としても楽しめた。
だから、相変わらずのしつこさで締めくくりを・・・・・(また、長くなりますよー)

文庫の括りでもある最終の「記憶の遺産-無形の文化という日本の伝統」を読んでいて・・・・。

我が和歌山県にもあるユネスコが提唱する「世界遺産」
これには当然、そうあるべきという「条約」があって、世界遺産に登録される重要な要件に
「真正であるべき」というのがあるそうな。つまり「まがいもん」はダメということ。
当たり前ちゃー、当たり前なんですが、法隆寺が登録された時に一悶着あったそう。
その原因は「材料の真正さ」が欠けてるじゃない?というダメ出し意見。
諸外国で世界遺産に登録された建造物は、ピラミッドにしてもパルテノン神殿にしても、
創建当時のままの建築材料。(ほとんど石で造られているからね)
それに較べて法隆寺の建築材料が、創建当時のままなのかどうかが問題にされたそうな。
傷んだ部材を交換して新しくなってしまうと「オリジナルではない」という理屈だ。
私自身、この理屈には共感する部分もある。
法隆寺の場合は、「創建当時の部材も多く残っているし、まあ、良いでしょう」となったわけですが、
ここで、著者は「伊勢神宮の式年遷宮」を例に問題提起している。
「伊勢神宮の式年遷宮」は20年に一度、古い建物をすべて建て替えてしまう儀式。
著者は伊勢神宮も世界遺産に登録すべき、と関係者に話したらしいですが、「そりゃ無理ですわ」と
一蹴されたそう。だって、20年に1回建て替えられたら、建造物としてはオリジナルじゃないもんね。
物質至上主義の立場をとると、オリジナルの「コピー」「レプリカ」には価値はなく、ましてや
傷んでもいないのに無駄に造り続けているこの儀式を「真正なもの」と評価することはできない。
しかし、「世界遺産」としての評価はさておき、ほとんどの日本人はこの儀式に違和感を感じない。
それは、物質としての価値より、日本人の精神に、あやふやな、はかない記憶を「受け継ぐこと」、
「記憶の伝承」が「真正なるもの」としてあるからじゃないか、と著者はおっしゃる。

これは、「式年遷宮」だけではなく、文芸活動や造形活動の中にもみられるそう。
「本歌取り」「見立て」などの手法や、連歌(詩人・大岡信が外国人とこれをやって、外国人の詩人は、
オリジナリティを無視されているようで、非常に苦痛に感じたそうな)などもその例で、造形活動でも
酒井抱一の名作「夏秋草図屏風」は、もともと尾形光琳の「風神雷神図屏風」の裏に
作者・抱一があえて描いたそうで、「風神」に対して風に吹かれる「秋草」、「雷神」に対して、
夕立のあとの「水流」と「夏草」という、抱一が敬愛する先達、光琳に対する機知に富んだオマージュであるらしい。

まだまだ、色々な例を挙げながら、西欧文化がそれぞれの時代に古い文化を壊すことによって
成り立たせている文化に対して、形式を受け継ぎながら、その時代や表現者の個性で再解釈する
日本文化との差異を論じていますが、読後、「そうだったのか、日本文化!」と納得。
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