2012.03.28 景観を残すということ
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Zeiss Ikon with G Biogon 28mmF2.8 MSオプティカル改
「景観」ていうのは時間の積み重ねだと思う。
最初にその場所に住み着いてから、人が、それぞれの土地に合わせてなじんでいく様の集積が「景観」だと思う。
「景観を残す」といっても、ノスタルジーだけで残すわけにはいかないと思う。
そこに住んでいる「人」ありきで物事を考えていかないと、そこはよそ者が喜ぶ「観光地」でしかなくなる。
人は「安全」を望み、「安息」な毎日を送りたいと願っている。
「景観」は長い年月を費やして、その「安全」と「安息」を求めた結果だ。
だから、残したい景観があるのなら、その土地の自然とどう向き合いうのか、
先人が培ってきた景観こそ習うべきではないか、と思う。

縄文建築団を率いる建築家・藤森照信のエッセイを読んでいて「基本的な構造体はプロに任せ、
表面の意匠は素人の力で完成させる」というようなことが書かれていたのを記憶している。
プロではない人々の手で作り上げていく縄文建築団のその様が「良いナー」と思った。
景観っていうのは建築家やハウスメーカーが作るのではない。

なぜ、こんな事を書こうとしたのか?
自分の住み家に近い小さな漁港「塩津」に写真を撮りに行って、断崖を切り開いてできた集落を
ウロウロしていると、住民がコツコツと手作りした細部がとても心地よく見えたから。
それに、住宅の復興はどうなっているのだろう?と思ったから。
壊れた家屋を復旧するのに、たぶん地元の工務店や大手ハウスメーカーが活躍するだろう。
この費用をどうするのか?という問題が浮上してくる。それに一気に建てるとなると人出も足りなくなるだろう。
そこで、この縄文建築団の考え方を拝借する。
基礎や基本になる躯体はプロに任せる。この費用の一部は国、もしくは自治体が支払う。
素人工事でもできる意匠や細々した部材は地域の人達が総出で作り上げる。
もちろん、部材の仕入れや加工は工務店で行い、それを近所の人達が総出で作り上げるというわけだ。
そして、仕事量に応じた賃金は請け負った業者がその人達に支払う。
妄想でしかないが、そこに住む人々が自分達の手で住宅を仕上げるというのは、中部地方の合掌造り民家の
わらぶき屋根の葺き替えの例にもあるように、古くから実例はいくらでもある。
簡単に書いたけれど、越えなければならないハードルはたくさんあるのだろう。
しかし、建築のプロではない人々が、時間をかけながらゆっくりと作り上げていくことで、
新しい町を愛し、そこに住む人々の絆が再生するのなら、悪くないアイデアだと思うのだが・・・。

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