2012.08.03 従属からの独立
「大エルミタージュ美術館展」を見ていて、もう一つ気に入って何度も見比べた二つの静物画

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図録より転載

上が1648年、オランダの画家ウィレム・クラースゾーン・ヘダによって描かれた「蟹のある食卓」と
下はご存じポール・セザンヌが、1894年頃~1895年にかけて描いた「カーテンのある静物」
「蟹のある静物」は180㎝×180㎝のスクエアサイズの大作。
これ、気に入っちゃったなー。抑えられた色調と、銀や金食器の硬質感の凄み。
たっぷりとした空間に安定した構図が余裕を感じるし、なんにせよ大好きな真四角画面だ。
昨日の記事と矛盾するけれど、天井の高い大きな漆喰壁なんかに掛かっていたらカッコイイなー。
で、しげしげと見ていると違和感を感じる部分が見えてきた。
横に寝かされた金のグラス、真ん中で折れ曲がっていないか?
左手前の銀の皿、綺麗な楕円形になるはずなのに、向こう側の輪郭が妙に直線過ぎないか?
その銀の皿に乗せられた貝殻の形を模したガラス食器、立体感が足りないような・・・

対してセザンヌの静物画。そんな見方で見てしまうと全くもってめちゃくちゃだ。
花柄の水入れは平面的だし、真ん中の皿なんか、手前にある白い布と同化してしまっている。
机のヘリの線は右にいくほどずれてきているし、机の角にかかった白い布は、
妙にパリパリで柔らかさを感じないし、塗り残しまであって、ここだけ見ていると未完成だ。

ここから昨日の記事と関連する。
同じ時間帯で鑑賞している人達を観察していると、この展覧会の前半、ルネサンスからバロックや
ロココ、新古典派あたりまでの、この「蟹のる静物」を含むコーナーはゆっくりと丁寧に鑑賞されていた。
それに較べると、最後のコーナーのマティスを含む20世紀絵画は軽く通り過ぎる人が多い。
見た目が綺麗で何が描かれているか的確に表現されていれば「上手い」と感じ、細部まで詳しく見ようとする。
しかし、見た目に違和感を感じたり、何が描かれているか判別しづらくなると、見る気が失せてしまう。
まあ、「見疲れた」という事もあるのでしょうが、ちょっと残念。

そういう、見方をしたのが、上に述べたこと。
古典的な作品は見た目のリアルさを技術の目標に掲げていたことには間違いない。
だから、私は「蟹のある静物」を見ながら「こんな静物写真撮りたいなー」と思った。
技術的にはまったく歯が立たないけれど、カメラがそれを補ってくれそうに思ったからだ。
しかし、「カーテンのある静物」を見ていても、そんな気にはまったくならなかった。
マティスの「赤い部屋」を見ていてもそうはならない。それは現実の見た目を写し取ろうとしなかったから。
1890年頃から1910年頃のセザンヌやマティスの登場は、それまでの西洋絵画が求めていた現実の置き換え
という従属から独立した記念すべき時代であったのだなー、と「大エルミタージュ美術館展」を
見終わった後思った。
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