2012.08.07 枠が気になる人
人には向き不向きがあってね、素早くシャッターを押せない人がいるんです。
(あっ!これ、いつものことだけれど写真の話ね)
その「素早くシャッターを押せない人」というのは、私のことなのですが、
ピントを合わすのが遅いとか(遅いけど)、絞りを決めるのが遅い(遅いけど)とか、
ということではなくって「枠」が気になって素早くシャッターを切れないという意味なんですけど。

この間からちょっと疑問に思っていたことがあって、それは「とりあえず撮っておいて、
後で自分の欲していたシーンを切り取る」というのがありなのかどうか、と言うこと。
そう、フレーミングというやつをあとから整える、ということだ。
まあ、自分でも「トリミング」と称してやることはあるのですが、それをやることにもすくなからず
抵抗感がある。「とりあえず」は「速写」に適しているから、これほど便利な方法はないし、
考え方としてはおもしろいけれど、写真の意味が変わってくるような気もしないでもない。

平面絵画は描く前にすでに枠が決まっていますよね。キャンバスの枠とか紙の大きさとか・・・
いや、平面である限り、丸いとかギザギザであったとしても「枠」は必ずあります。(たぶん)
とりあえず、ドンドン描いていって描き終わった後、気に入った部分だけ切り取って
提示する、という作風の作家はいるのだろうか?(私の知る限り、ない)
逆の人は知っているぞ、デイヴィッド・ホックニーだ。
彼の写真を使った作品は、主になるモチーフとその周辺を「とりあえず」撮りまくって、
出来上がったプリントを組み合わせて空間を再構成するという作品だ。
フォトコラージュという言い方をする作品ですが、最初見たとき「枠」をはみ出して
画面が増殖していくようで、カッコイイなーと思ったモノです。

話がちょっとズレてきたようです。写真の「枠」の話です。
もし、「とりあえず撮る」という方法を取るのなら、ファインダーや液晶画面を見て撮る必要は
ないのではないでしょうか?つまり、その場でシャッターを押すことだけに自分の行為を純化するわけです。
そして、たまたまそこに残された瞬間の映像の一部を他者として取り上げ、意味を持たせる、というような
ことをすれば、「私はその場の写真を撮ったが、その写真は私が撮ったものではない」みたいな、自発的な
意味での「撮影」を否定しながら、しかしその映像は「確かにある」というパラドックスになっておもしろい
かも知れませんね。
64420002.jpg 64420003.jpg
(無意識にシャッターを押した画像を加工して並べてみたけど、これだけだと工夫がないな)

でも、それって撮っていて楽しくないだろうなー。
だから、「最初に枠ありき」の呪縛から逃れられないわけだ。

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