2013.01.15 ピタッとあう距離
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FUJI X-E1 with Voigtlander NOKTON 50 mm F1.5

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連休の二日間、あいも変わらず、紀の川の河川敷にて撮影。
いつもの場所だから、それほど奇抜な、誰もがレンズを向けるモチーフはない。
何を撮るかというと、1月12日の記事にした「モチーフは自らの内にある」を
「本当なのか?」と自身で確かめるため。
なぜ「モチーフは自らの内にある」なのかというと、
年末に読んだ「彼らが写真を手にした切実さを」大竹昭子・著 平凡社 の
最後の章に書いてあった一文が気になったから。その一部を抜粋させてもらうと・・・

病気する前の中平(中平卓馬の事)は広角専門だった。対象に接近しなくてもとれる望遠レンズには、
たぶん否定的だったのではないだろうか。それが病後に広角と望遠の両極端を行き来したあげくに、
100ミリをとったのである。ふつう望遠レンズは遠くて近寄れないものを撮るのに使われるが、
彼の用い方はそれとはちがい、すぐそばのものを100ミリで撮る。つまり、標準レンズの感覚で
100ミリを使っているのだ。使い続けるうちに、理屈を超えて、身体にフィットするものを感じたのだろう。
世界との距離がピタっと定まった、そんな感覚だったのかもしれない。・・・・

筆者は中平氏が「100ミリレンズを選ぶ」ことについて、赤瀬川原平氏の一文を引用している。

それはこうだ・・・・
〈望遠レンズでは身の回りの物が単品として写る。広角レンズの場合は物と物の関係、ネットワーク、
いわば世の中のしがらみが写ってしまうのであるが、100ミリはそれがすとんと切り落とされる。
単品のにぎり鮨みたいなものだ。広角がちらしとか、混ぜご飯であるとすると、望遠はにぎり一種、
もしくはかっぱ巻きなど〉
(1997年、中京大学アートギャラリーC・スクェア「日常 中平卓馬の現在」展リーフレット)

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カメラを持って興味ある世界と向き合う。
それはその世界に自分がどう関わるかということか?
レンズを選ぶということは、その距離感を選ぶといことなのか?
撮った画像を見ていると、遠かったり近かったり、まだまだピタッと合う距離では撮れていないな。
でも、ひとつだけわかるのは、選んだレンズで「身体にフィットするもの」っていう感覚。
いま、よく使う焦点距離は、標準から中望遠レンズ。それが私と世界との距離。
広角をそれほど使わなくなってきたのは、「世の中のしがらみ」を写したくないからだな。

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