2013.02.08 写真を撮る「個人的理由」
「おもしろかったよー」の友達の感想と、ヤフーのトピックスの記事にもなっていた
NHKスペシャル・沢木耕太郎 推理ドキュメント運命の一枚~"戦場"写真最大の謎に挑む~
再放送を録画して見たけど面白かったよー。
沢木耕太郎の「推理」だから、「真相」ではないけれど、限りなく「真実」に近い・・・・と感じた。

戦争報道の歴史の中で、「最も偉大な戦場カメラマン」と称されるロバート・キャパ(1913-54)が、
スペイン内戦のさなかに撮った「崩れ落ちる兵士」。誰もが一度は見たことのある超有名写真。
戦争報道写真の代名詞。銃弾によって身体を撃ち抜かれた兵士の「死の瞬間」を捉えたとされるこの写真は、
フォトジャーナリズムの歴史を変えた傑作とされ、でも、この「奇跡の一枚」は、ネガは勿論、
オリジナルプリントもキャプションも失われており、キャパ自身も詳細について確かなことは何も語らず、
いったい誰が、いつ、どこで撃たれたのか全く不明の、真贋論争が絶えない「謎の一枚」でもあるのだ。

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ロバート・キャパ《共和国軍兵士、コルドバ戦線、スペイン》
1936年9月初旬 ゼラチン・シルバー・プリント、横浜美術館蔵、© ICP/Magnum Photos


私の知らなかったこと
「ロバート・キャパ」という名前は、アンドレ・フリードマン(キャパの本名)とドイツ人女性ゲルダ・タロー
(本名ゲルタ・ポホリレ、1910年生/1937年没)の二人によって創り出された架空の写真家の名前であること。
番組では、女性報道カメラマンの草分けでもあり、年上の恋人でもあったゲルダ・タローの、
駆け出しのカメラマン、フリードマンを売り込むための作戦だったとか。
二人共ユダヤ人でナチスに対する反ファシズム陣営の立場をとっていた。

私が勘違いしていたこと
「崩れ落ちる兵士」の写真は雑誌の印刷物で何度も見ていて、兵士の頭のてっぺんが銃弾で打ち抜かれて
飛び散った肉片だと思っていたけれど、番組の中で紹介されていた他の写真と比べてみると、この兵士、
てっぺんにリボンかなんかついている帽子をかぶっていたのね。肉片だと思っていたのはそのリボン。

沢木氏の取材と検証で明らかになったこと
この写真が撮られた時期・場所が特定され、なおかつ、兵士達の持っているライフル銃がすぐに発砲できる
状態ではないことから、戦闘状態ではないことが判明したこと。また、この場面の前のショットと思われる
場面と比べると、このショットを一人のカメラマンが連続して撮ることが不可能であること。

沢木氏の推論とその後のキャパ作品の凄み
この写真は同じ日に同じ場所で撮影していたゲルダ・タローが撮影した場面であり、なんだかの理由で
キャパの名義でこの写真を「LIFE」に持ち込んだ。・・・、と同時期に、恋人でもあるゲルタ・タローを
別の紛争地で亡くしてしまった。その後のキャパは他人が「死にたいのか?」と思わせるほど、戦争の
最前線で撮影を行い、あの名作「ノルマンディ上陸作戦・Dディ」の記録写真を残す。
それは、戦争で亡くした恋人への鎮魂か、それとも他人が撮った写真を自分のものとした後ろめたさか、
それとも、報道写真家「ロバート・キャパ」としての使命か・・・・
この写真が「LIFE」に掲載され、反ファシズムのプロパガンダの象徴となる。
そして、無名の報道カメラマン、アンドレ・フリードマンことロバート・キャパを時代の寵児に押し上げた。
もし、沢木氏の推論が正しければ、ロバート・キャパの名作という意味では「嘘」であり、
「ファシストへの抵抗」として美化された脚色によって、世界を騙したことになる。

「写真ってなんだろう?」とまた、考えてしまった。
「その写真」を撮った者の主張が、増幅されて伝わることだってありえる。
思想や信条や理由や思考や嗜好を「個人」という一つの方向からの視点で捉えることしかできない「その写真」
だから、「その写真」に社会性を持ち出すと、話がややこしくなる。
キャパは連合軍によるフランス解放後の一場面を撮っている。
それは、広角レンズで撮った街中のスナップだが、見せしめとして丸坊主にされたナチスに身を売った女性を
取り囲んだ市民の姿だ。人々の顔はこの女性を蔑み、怒りに満ちた顔も見受けられる。晒し者にされた女性は
放心状態で幼い子供を抱いてさまよっているようだ。
キャパはどのような気持ちでシャッターを押したのだろう。
どちらの立場でこの女性を被写体として選んだのだろう。
市民と同じ気持ちか、それとも女性の立場か?
写真に意味を持たすことなんて簡単だ。そこに一言言葉を添えるだけでいい。
それが、社会が勝手にその意味を解釈し、自分たちの都合のいいように脚色する。
だから、肝に命じよう。「写真なんて個人的なものなんだ」(映像と言い換えてもいい)
キャパは最後まで「個人的理由」で戦争の現場で写真を撮り続けたのではないか?
番組を見ながら、そんなことを考えた。

私は、遺作となった最後の写真が好きだ。
それはインドシナ戦線に向かう部隊の後ろ姿。画面の左側にはその部隊を避けるようにこちらに向かって
歩いてくる日傘をさした女性の姿が写っている。「地獄」に向かう兵士達。平和を望んで逃げてきた女性。
その境界線としてのスナップショット。キャパは振り返って女性と同じ方向にも行けたはずだ。
しかし、彼はそれを望まなかった。そして、「地雷を踏んでさようなら」した。
それが彼の「崩れ落ちる兵士」から始まった報道写真家としての「個人的理由」だ。

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