2013.05.02 五町石だけ歩く
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FUJI X-E1 with Summilux-M 35mm F1.4

空海っていう人はどういう人だったんだろうと、「空海入門―弘仁のモダニスト」 (ちくま新書)を
読んでみた。眉唾物の伝説ではない、リアル空海を史実に基づいた資料を元にした竹内信夫の著作。
空海が生きた時代の原文が多く掲載されていて、読解力と漢字力のない身には正直辛い。
しかし、我慢して(途中読み解くのが面倒になって、はしょった部分もあるが)最後まで読み終えて、
この宗教家は時代の最先端を走っていたのだなー、というのがおぼろげながら理解できた。

そんな空海が大成した後、宗教活動の最後に選んだ地が「高野山」
その高野山に向かう道に「町石道(ちょういしみち)」という登山道がある。
出発点は麓の九度山・慈尊院。Wikipediaによると表参道だそうだ。
高野山上の壇上伽藍・根本大塔まで約22キロ。世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の
構成要素にもなっている。信仰の道としてのこの道は、空海が開山する際、
出発点の慈尊院付近を前線基地として、弟子達がこの道を開いたそうだ。

和歌山県立近代美術館にハミッシュ・フルトンという現代美術作家の「山の辺の道」という
写真とテキストを組み合わせた作品がある。題名そのまんまで、山辺の道を歩き、作家自身の
視界に写る「道」の先をそのまま撮影した写真と、その道に関する文章を画面に差し込んだ作品だ。
美術館開館当時初めて見たっきり、記憶の奥にずっと残っていて、歴史のある古い道に出会うたびに
思い出しては、そんな写真を撮っているような気がする。
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「町石道」とは、高野山までの道標(道しるべ)として、1町(約109メートル)ごとに
「町石(ちょういし)」と呼ばれる高さ約3メートルの五輪卒塔婆を建てたところに由来するそうだ。
開山した平安時代の頃は木製の卒塔婆だったと言われており、風雨にさらされるなどして老朽化したため、
鎌倉時代に20年の歳月をかけて石造の町卒塔婆を建立し、今でも多くの町石が現存している。

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