2014.08.13 マネ、あなたの革新を初めて理解できたよ
最近の記事が「わしらは怪しいカメラマン」ならぬ、「わしらは怪しいアートマニア」となっておりますが、ご勘弁を。
なんせ、美術好きから写真好きに入ってきた人だから、美術関係に興味がいくと止まらない。
そんな言い訳を述べつつ・・・・

昨日の記事にもちらっと書いた、新国立美術館で開催されている「オルセー美術館展」。
ヨーロッパ近代絵画の超有名どころが見られるからと見に行ったけれど、「知ってる作品」ともなると、
あんまりじっくりと見ないなー、(反省)と感じつつ、最後のブースへ・・・。
オルセー美術館展のトリを飾るのが、印象派の父と呼ばれるエドゥアール・マネの作品群。
印象派と言えば「モネ」、「モネ」と「マネ」。ややこしいけれど、マネの真似したのがモネ(???)
印象派の画家たちが「印象派」になる前から「印象派的」な作風で印象派の画家たちが敬愛する
兄貴的存在だったマネ(ちょっとくどいね)は、古典絵画を愛しながらも、古典絵画をぶっ潰した人。
・・・・とワタクシは頭では分かっていたけれど、それほどたいしたことないよな・・・と思って興味は持てなかった。

それがオルセー美術館展のトリもオオトリに展示してあった、フランスの政治家・ジョルジュ・クレマンソーの
肖像画を見て、初めて「こりゃ、凄い」と思った。その「革新」に感動した。それがこの作品だ。

mane001.jpg
何と言ってもこの「中途半端さ」が凄い!肖像画ですよ、それも頑固な政治家。
そんな人に40回ぐらいポーズさせて(図録の解説に書いてあった)、この中途半端さ。
画家としては当時もう知名度もあり、円熟期の制作とはいえ、これで「完成」とするところが凄い。
これを「革新」と言わずして、何と言おう!

それでは画面上部から詳細を見てみよう・・・・
まず、頭部の輪郭が凄い。
サッサッサーと黒い線で(たぶん生の黒)輪郭線を引いちゃっている。
こんなに大胆に「線」を残すことなんて当時としてはあり得ない。それもバックの失敗してふき取ったような処理。
それは肖像画の最も大事な部分、顔の表現にも及んでいる(向かって左目なんて2秒で描いてるよ)
肖像画で最も重要な部分を「サッサッサー」で終わらせる金玉の大きさには敬服に値する。
こんどは両肩を見てみよう。
向かって右肩の表現には「感銘」を受けた。頭部の輪郭とは逆に、絵の具を
削りとって輪郭を決めちゃっている。描いた輪郭がプラスなら、こちらはマイナス。左肩は右肩と同じことを
やったあと、もう一度塗って形を決めている。これは前後する肩の位置関係を表したのだろうか?
胴体に目を向けると、不思議な感覚を受ける。
黒の礼服と蝶ネクタイは、「黒っぽい」色面でほとんど立体感を省略し、そこに浮かび上がるように表現した
向かって右手は、描き損じをそのまま残したような終わり方。左腕は輪郭線なのか、袖を現す
色面なのか判別できず、それもなんたることか!途中からフロントカットと同化してしまっている。
背景は人物を覆うような「影」を配し、背中には意味不明の筆のタッチをそのまま残した数本の線。

話は飛んでしまいますが、杉本博司の作品に中世の蝋人形を撮影したシリーズがある。
その作品を見ていると、蝋人形という立体は平面である「写真」になると、精細に描かれた
肖像「画」となり、モノクロ写真となった絵画と錯覚する。つまり、それまでの肖像画は蝋人形
のように「動かない人物」であったのに対し、マネのこの作品でその逆を目指したのだろうか?
この肖像画を立体にしても蝋人形にはならない。描かれているパーツがあいまいだからだ。
それは「動いている」、生きて動いている生の人間を描こうとしたからと言えるのではないだろうか?
それは革新であり、エキサイティングな表現の始まりでもあった・・・・この作品はそんな絵画だ。
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