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2014.08.06 現代美術と写真
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ヨコトリで期待をしていたのが写真表現。
中平卓馬、奈良原一高、土田ヒロミなど、いわゆる「写真家」とよばれる人たちの
代表作を生で見られたのはうれしかった。今、振り返ってみると、みんな「ドキュメンタリー」だなー。
報道写真にはないリアリティがあるのは、モチーフを観察する視点が純粋だからだろうか?
中平卓馬の作品はその純粋さはぴか一。超個人的視点と言おうか、どうして「それ」を
撮ったのか俄かには判りづらいけれど、よく見ると「な~んだ、そういうことね」って感じ。
純粋に興味があるから撮っただけ、これはできそうでできないことですよ。
撮ろうとする時の心のピュアさがすがすがしい。
奈良原一高、土田ヒロミの作品は、代表作のダイジェスト版。(だと思う)
だと思う、と書いたのは、名前を聞いたことあるけどー、ぐらいしか知らなかったから。
でも、どちらも忘れ去られそうな、もしくは忘れ去られた社会をもういちど考えさせられたり、
もしくは知ることができたりと、直球勝負で迫ってくるから圧倒される。
では、写真とは言えないけれど、葛西絵里香の版表現は、写真表現の範疇に入れても面白いと思った。
「憂き世」と題されたインスタレーションは、リノリュウム板を彫った「ハンコ」作品なのだけれど、
その一部に写真製版で作った「ハンコ」を紙にプリントしてピンナップ形式で壁にレイアウトしていたが、
この作品を見ていると、これを「プリント」と言うなら、写真も「プリント」って言うよな、だったら
「版表現」と「写真表現」とは「プリント」する、という共通項があるから似ているよな、となって
それなら、もっと「写真家」が自由になれば、その作品は「美術」に近づけるよな、と思った。
(前にも書いたけれど、「美術」はとっくに「写真」に近づいている)

kasai001.jpg
左がプリント、右がリノリュウム板に写真製版した「版」
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