2014.08.15 戦争反対
004-1185.jpg
Fuji FinePix X100

あの話題が世間を騒がせたのは、いつだっただろ?
例のあれ・・・・そうそう「集団的自衛権」憲法解釈・・・・閣議決定。
同盟国が戦争やってて、ほっとけないから自衛隊が助けに行くっていうやつ。
日本国が不利益になるなら、自衛隊が出向いて行って戦争に参加するっていうやつ。
そして、それらの決定を、時の政権の判断で対応するっていうやつ。
あれ、こういうことじゃなかったけ?

いや、そんな物騒なことを言ってません。
例えば、「敵国」の攻撃を受けそうな同盟国の軍艦に、その国から逃げ出すために乗っていた
日本人がいるというのに、助けないわけにはいかないでしょう?って話です。
例えば、石油が入ってこなくなったら、日本の経済がたちまち立ちいかなくなって困るでしょう?
だから、そこが戦闘地域だとしても、同盟国に来てくれっと言われたら行かんわけにはいかんのです。
いやいや、今迄の憲法解釈と変わらないんです。国際的な立場って、これから大切になってくるから、
自分の国のことだけ考えるわけにはいかんのです。それに「絶対」ってことないし、その時に考えりゃいいんです。

そうなんだー、そういうことかー・・・・

この間から、面白い考えだなー、と思って読んだ本。
「おじさん」的思考・内田樹著 晶文社

2009年で15刷も版を重ねている本だから、読んでいる人も多いだろう。
私は表題だけで飛びついたのですが、思想家である氏の考えに共感した。
その本の中に「国際社会における威信より大事なもの」という一説がある。
それは・・・・・

(前略)・・・・私は海外派兵にはもちろん反対である。
 「そういうことをしない非常識な国」というのが国際社会における日本の「奇妙なポジション」なのである。
その奇妙なポジションを日本は戦後56年かけてようやく獲得したのである。
 「まあ、日本はあーだからさ。あいつは蚊帳の外においといて、こっちだけで話決めようぜ」と欧米列強や
ロシアや中国が頭の上で談合するのであれば、多少は腹立たしいかも知れないけれど、それはそれで
「どーぞご勝手に」でよいではないか。G8のなかで「かっこがつかない」ことなんかどうだってよいではないか。
国の「かっこがつかない」ことより、どこかの国の「怨みを買わない」ことのほうがずっと大事だと私は思う。
大義名分を立てて戦争することより、大義名分のない平和にしがみつく方がずっとむずかしい。
・・・・(中略・戦後、国際映画祭で立て続けに受賞した日本映画を引き合いに出して)・・・・
問題は、形式上、国際法上、「敵か味方か」にあるのではない。
ある国の軍隊が、別の国に行って、そこで人を殺すかどうか、というごくごくリアルなことである。
そこで人さえ殺さなければ、たとえ国際法上の敵国であろうとも、根深い憎しみの対象とはならない。
何世代にもわたるルサンチマンの虜囚になることはない。
だから、私は対テロで日本政府がアメリカ政府を支援するぞと「口だけで言う」ことには賛成である。
「金も出すぞ」というのもどうかご勝手に。戦艦を空母の護衛につけることくらいのことは目をつぶってもいい。
しかし、兵士を戦地に送り込むことには絶対に反対である。
「人的貢献」がうるさく言われるのは、「そこで一人でも日本兵が血を流せばアメリカ国民は日本が味方だとい
うことを決して忘れないような仕方で記憶する」というふうにみんな考えているからである。それは逆に言えば
「そこで日本兵が一人でも敵国人を殺せば、敵国の国民は日本が敵だということを決して忘れないような仕方で
記憶する」ということである。
なぜ、そのことを言わないのか。
おそらく日本政府の偉い人々は日本の自衛官が「死ぬ」だけで、「殺さない」というような理想的局面を夢見ている
のであろう。それならアメリカに「貸し」だけ作れて、イスラム諸国に「借り」はできないからだ。しかし、そうはいかない。
派兵されれば、「死ぬ」だけではなく、必ず、「殺す」ことになる。 
日本政府の人々がアナウンスすることを避けているのは、一度でも一人でもその国の人間を軍事的行動の中で
殺せば、日本はその国の全員から、何世代にもわたって、深い憎しみを引き受けることになる、という当然の予想
である。私はG8の対面なんかよりも大事なものがあると思う。
日本の国際戦略の大義は、国際社会において「蔑み」の対象となっても、
「憎しみ」の対象とは決してならないことに存する。私はそう信じている。 (2002/9)
※ルサンチマン・主に弱者が強者に対して、憤り・怨恨・憎悪・非難の感情を持つことを言う。キェルケゴールにより確立された哲学上の概念

2002年に書かれたエッセイの一部を掲載させてもらった。
このエッセイが書かれた前年、アメリカで同時多発テロが起こり、アメリカ軍がアフガニスタンに侵攻する。
あれから12年、世界は何も変わっていない。そして、日本政府は「テロ防止や国益のために武力を使うことを
止む無しとする常識的な国」になろうと閣議決定したのだ。将来、それは「敵国」からの攻撃対象国となり、
殺ったり殺られたりする関係となりうる、ということを良しとする考え方だ。
戦後69年、 「そういうことをしない非常識な国」 日本。私は、そんな国の国民として誇りに思っている。
だから、もしかしたら、将来「ルサンチマンの虜囚」となる可能性を残す政府の閣議決定については、
「そうなんだー、そういうことかー」と安易には納得しない。

Secret

TrackBackURL
→http://washiaya.blog72.fc2.com/tb.php/2286-1ec19b0a