2014.09.16 モノとしての写真
あまりにも気持ちのいい天気の連休初日。ドライブがてらに愛知県美術館で開催中の企画展
「これからの写真」を、見に行ってきた。ちょっと物議をかもした展示内容だったから、話題とし
ては「つかみはOK]て感じで、入場者は多いと思っていたけれど、私の予想に反して、休みの
日(土曜日)だというのに、会場は閑散としていた。
出展者は新井卓 加納俊輔 川内倫子 木村友紀 鈴木崇 鷹野隆大 田代一倫 田村友一郎 
畠山直哉 の9氏。それぞれの個展をブースに分けてやってたって感じかな・・・・・
ぶっちゃけ、規模のわりには、料金(当日券1100円)が高いんじゃないか?とも思った。
まあ、他の展示でも写真関係の企画でやってたから、それコミと考えると、こんなもんか。

話題の(笑)鷹野隆大氏の作品は、「それ」視点で見てしまってイカンイカン。しかし、本当に今回の
顛末は笑っちゃうね(知らない人は検索してね)。もう、本当に「いちゃもん」と言うしかない。どこが
悪いんだよって感じ。作品の価値をこんなことで貶められると、作家としちゃー怒りの矛先をどこへ
向けていいのかわからない。気の毒だ。

ところで川内倫子氏や畠山直哉氏のような、いわゆる人気作家の作品を見ていて思ったんですが、
初めてお目にかかる作品は、作品自体の内容を鑑賞し考えたりできるけれど、雑誌や写真集で
紹介され、こちらがそれらを見たことがある作品だと、「もう、その撮った瞬間を知っている」から、
あんまりしっかり見る気になれなかった。後から考えてみると、これらの作品は「印刷」と「プリント」
の差があんまりなかったからだろうな。例えば、油絵だと、たとえ図版で何回も見たことのある作品
でも、本物を目の前にすると、図版では再現されていない微妙な筆の痕跡や、色の調子に出会える
醍醐味がある。写真はそこら辺りが微妙ですね。バカの一つ覚えで申し訳ないですが、杉本博司氏
の作品は、圧倒的にプリントされた現物が良い。図版はやっぱり図版でしかない。専属のプリンター
(プリントを専門とする職人)を擁して写真を「作品化」している凄みだろうか?

良いなー、と思ったのが、鈴木崇氏・新井卓氏・加納俊輔氏の作品。
「写真」を展示しているのではなく、「写真を使った」作品としているから、「物質的」な強さがあった。
ワタクシはこれらの作品を「これからの写真」として興味を持ってみることができた。

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左から鈴木崇氏・新井卓氏・加納俊輔氏の作品

鈴木崇氏の写真は、色とりどりのスポンジをモチーフとしてセッティングし、それを「構造物」と見立て
て写真として記録した作品。建物とか街並みなんかを連想できるし、色もポップだから部屋に飾りたい。
新井卓氏は、写真黎明期の技法・ダゲレオタイプ(銀板写真)を使った作品。鏡のように磨かれた銅板
にはあまり鮮明でない画像が刻み込まれている。画像は原子力の「負の遺産」をモチーフとして撮影
されたもの。銅板に刻まれた写真は「二度と出られないように封じ込められた」って感じ。
加納俊輔氏の作品はキッチュだ。写真だとわからないでしょう。木の板の表面に「木の板の表面を原
寸大に撮影した」写真を貼っている。写真の安っぽさをうまく利用していて、目の付け所がシャープでしょ。
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