2015.03.14 今やアクションあるのみ
アタクシは西洋絵画にも日本絵画にも、そしてコンテンポラリーアートや写真作家にも興味があります。
そして毎年、たぶん月に一回ぐらいは興味のある展覧会を見に行きます。
しかし、唯一まったく興味がない展覧会は、美術団体が主催する公募展です。
タレントの○○さんが、△△会に出品して入選したとか、○○さんは毎年入選していたので、
無審査になっただとか、たまに芸能ニュースなんかで報道される、あんな公募展です。
あれって、必ずと言っていいほど組織的で、ヒエラルキーがあって、作品の良し悪しじゃなくって
どれだけその組織に染まっているかどうかで評価が下る。(と、アタクシは感じています)
それは、若い時に一度だけ、そんな展覧会を見に行って反吐が出るほど、アタクシには
合わないと思った経験からです。もう、どの作品も、表面的で、内容的にも、考え方もおんなじ
なんですもの。なんか他力本願で無責任な感じがしたんだろうな。

そんな既成から外れた、表現の形はどうあれ、「創る自由」や「個人の考え」が、エネルギーとして
作品の中に充填されているような、全くの自己責任でフラットな、とても魅力的な展覧会がありました。
(アタクシが美術に関心を持ったころには、その「噂」しか情報としてなかったですが)
故・赤瀬川原平の著書「反芸術アンパン」に、その展覧会の記録が書かれています。

「アンパン」って「あんパン」でもシンナー遊びの俗語でもないです。「読売アンデパンダン」のことです。
「読売アンデパンダン」とは1949年から1963年まで、東京、上野の美術館で開催されていた
読売新聞が主催する、どんな人でも作品を出品し、展示できる無審査の展覧会の事です。
原平さんはこの展覧会に作品を出品していた芸術家だったのです。そしてこの著書は、自らが参加していた
この展覧会とはなんだったのかという、氏の記憶と記録と調査によって書かれた展覧会の記録です。
あのー、この展覧会のことを語りだすと、もう色々大変ですから、詳しくはこの本を読むのが一番ですが、
ネットで画像を検索すると、この展覧会に出品された作品の特異性がイメージできると思います。

原平さんの盟友、藤森照信氏はこの本の解説にこんな一文を寄せています。

・・・・拡大千円札と梱包扇風機には、エタイの知れないナンセンスとしかいえないようなエネルギーが充満していた。
そしてそのエネルギーは作品として定着するものではなく、拡大が完了し、梱包が終わった時点から蒸発し始め、
どっかに抜けていってしまった。ポンピドューの展示の中で、千円札と梱包がスカスカに見えたのは、美など混ぜずに
エタイの知れないエネルギーだけをかつて純粋に充満し、今はきれいさっぱりカラになってしまったからである。
戦後のアバンギャルド芸術の元気の素は、作品という形に定着不能なエタイの知れないエネルギーだった。
そして、このエネルギーは絵にも彫刻にも定着しなかったけれど、しかしさいわい、赤瀬川原平の、得意な言語能力が
からくもとらえ、文章に定着することに成功した。・・・・・ P240より抜粋

藤森氏のこの文章で、当時出品された作品群とこの展覧会を総括できます。
つまり、芸術作品という名前を借りた「エネルギーの塊」を展示していた展覧会。
時代とともに、そのほとんどが、作品に充填されていたエネルギーはしぼんでしまい、
一般的な評価としての芸術物件ではなく「ただのゴミ」になってしまいましたが、
この展覧会の出品されたエネルギーの芸術的価値は、いまだに色あせてはいない、
いや、むしろこんな時代だからこそ必要なエネルギーなんじゃないか、と読後、感じたのでした。

そう、工藤哲巳が知識人の前で言ったように・・・・「今や、アクションあるのみです」と・・・・

工藤哲巳-大阪生れの読売 アンデパンダン出品者の一人。
上記のフレーズは、工藤が赤瀬川らとともにしていた頃、巷で行われていた安保闘争集会の演壇で、
当時バリバリの活動家の前で、活動家でもないのに、「何か言え」と言われて、とっさに出た言葉。
去年、この作家の回顧展が大阪国際美術館で行われていた。


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