2015.04.29 観想するアート
国立国際美術館に 【高松次郎・制作の軌跡】 という高松次郎の回顧展を見に行ってきた。
日本の戦後美術を牽引した重鎮。そして、観念の芸術は退屈だ。他の人を誘わなくてよかった。
・・・・と、批判的な書き出しではあるが、見る側が作品の表層だけを見ると、こういう感想になる。

美術館のプレスリリースの一部をコピペすると・・・
高松次郎(1936-98 年)は、東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻を58 年に卒業後、
61 年から読売アンデパンダン展において作品を発表し、62 年には中西夏之、赤瀬川
原平とともに美術家集団、ハイレッド・センターを結成してハプニングを行います。
60 年代中頃からは国内の美術展において受賞を繰り返し、国外でもヴェネチア・ビ
エンナーレ(68 年)、ドクメンタ(77 年)において、日本を代表する美術家として
紹介されました。高松の名は以後広く国内外に知られます。・・・とある。

そう、高松次郎は前衛芸術集団、ハイレッドセンターの「ハイ」の人です。
「レッド」でもあった原平さんが前衛芸術をやっていた若いころの同志。
因みに「センター」は中西夏之という作家です。
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こんがらがったヒモ、影を描いた絵画、おかしな遠近法の椅子やテーブル、写真を撮った写真、
数理図形を組み合わせたような絵画・・・・。解りやすさから言えば、影を描いた絵画だろう。
しかし、他は何を表しているのだか見ているだけじゃワカラナイ。だから、退屈。
そう、印象派以前の西洋絵画に毒された目で見ると退屈になる、と言おう。
観念芸術の「観念」という言葉を調べてみると、仏語。真理や仏・浄土などに心を集中して観察し、
思念すること。と書いてある。観想という意味もある。「観想」ってなんだろう?
特定の対象に向けて心を集中し、その姿や性質を観察すること、だそうだ。
言葉の意味を調べていて、自分自身がこの作家に興味を持ってしまったわけがストンと腑に落ちた。
高松次郎は特定の対象に向けて心を集中し、その姿や性質を観察する「観想」を視覚化したのだ。
彼の作品を見ていて、アタクシがなんとなく感じていたのは東洋的な感覚だったのだ。
だから、やまと絵や書写や、山水画を見るようにこの作家の作品を見ると、俄然おもしろく見られた。
特に、欲しいと思ったのが、「平面上の空間」シリーズの鉛筆ドローイングのいくつか。
わけわかんないけれど、クールでおしゃれ、クールジャパン。
作品の本来の良さや意義を理解するには難しいけれど、こっちは研究者じゃないんだから、
別の視点と言うか、勝手にこっちの見方で楽しんでもいいんじゃないか、と思った。

さて、大阪ではハイレッドセンターの「ハイ」。広島では「レッド」の回顧展を開催中だ。
この「レッド」も見に行くことに決めた。楽しみだ。

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