2015.08.19 「素」の美しさ
明治以降の日本画にはそれほど魅力を感じることはなかった。
福田平八郎の作品は好きだけれど・・・

社会との接点が感じられない閉鎖的な表現様式が、なんか見ていて堅っ苦しく感じるんだよなー
(感じだけれどね)
まあ、そんなことで現代日本画家の作品展を観にいくようなことはことはなかったんだけれど、
ドライブがてらに奈良、登美ヶ丘の閑静な住宅街に建つ小さな美術館、【松柏美術館】に行ってきた。
やっていたのは、【本画・下絵・素描 上村松園・松篁・淳之「創造のひみつ」展~日本画の材料と技法~】。
作家が、ひとつの作品を完成させるまでの過程を見せてくれる企画展だ。

上村松園、日本を代表する女流日本画家、1936年に描かれた【序の舞】は切手デザインにも採用された
有名な作品だ。綺麗だし、テクニックは凄いし、ち密だし、物としてはプロフェッショナルで、非の打
ちどころはない、良い作品だ。しかし、やっぱり、「好きか?」って訊かれると、「うーむ・・」となる。
どうしてかなー、本画(完成作品)は、どうもなじめないなー。
しかし・・・・である。本画と同じ大きさに描かれた下絵が非常に良いのである。良い、というか魅力的。
この企画展に展示された「下絵」すべてが魅力的。中には、「欲しい」と思う下絵もあった。
どうしてかなー、と考えた。
まあ、もちろん作品の美術的価値となると、本画の方が圧倒的なのだろう。
それに、作家自身も目標があって、その目標がほぼ達成された本画のほうに価値を見出すだろう。
下絵は、その終着点に至るまでの途中でしかない。そこにあるのは、思考とか、苦悩とか、技術の
裏付けとか、飾りものでない作家の生が見られるだけだ。アタクシはそこが魅力的に感じたのだ。
面相筆で躊躇なく引かれた、熟達した「線」に「スゲー」と感じた。気に入らないのか、和紙を貼りな
おして、何度も描き直した「形」に対する追及心に感銘を受けた。克明に描かれた着物の模様の形が
本画と全く同じことに、技術者としての徹底ぶりに感心した。

なるほど、これを書いていて、アタクシが「明治以降の日本画」に魅力を感じないのが分かってきた。
それは、「着飾った絵画」だからだ。着飾って本心が見えない、作者の本心がうかがい知れない。
本画は、伝統的な化粧をし、見る者誰もが「お綺麗どす」と夢の世界を演出する舞妓さんなのだ。
アタクシはお茶屋で舞妓さんとお会いできる身分ではない。花街の世界とは縁遠い世界で生きている。
そんなアタクシに「着飾った絵画」が理解できるはずも、魅力を感じることも到底無理だ。
しかし、お茶屋で完璧な美しさを見せつける舞妓さんにも、芸を極めるための普段がある。
その普段に「素」の美しさがある。日本画の下絵は、そのようなものなのだ。
そして、そんな「素」の美しさにアタクシは共感するのだ。

img404.jpg
画像は上村松園(下絵集)ポストカードをスキャンしたもの。

日本画は、写生に始まり、小手絵(スケッチ)で想をまとめ、草稿(下絵)で練り上げ、
そして本絵にかかるという手順をふみます。紙本(和紙)にしろ絹本にしろ、草稿を
引き写して描き、本紙での修正は、当時の技法では全く不可能であった事も伴って、
草稿にかける時間は本紙よりむしろ多かったように思われます。草稿はまず、木炭
であたりをつけ、何度も何度も描き直してゆき、最後に墨線で描いてゆきますが、
部分的にさらに修正を重ねた為、幾枚もの紙が貼られる結果になっています。
(ポストカードに書かれていた上村松篁氏の解説を一部抜粋して掲載 カッコ内は筆者)

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