2016.05.14 絵画は語る
和歌山県中南部に田辺市という町がある。
人口79,107人、和歌山県内では和歌山市に次いで第2位で、面積は近畿の市の中では最大であると、
Wikipediaで紹介されている。観光地としては白浜温泉や竜神温泉、世界遺産の熊野古道などなど・・・。
その町にある市立美術館二館で「特別展 鈴木理策写真展」が開催されている。
ひとつは熊野古道なかへち美術館「水鏡」、もうひとつは田辺市立美術館「意識の流れ」
んん?去年見に行った香川県の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館での企画展の再展示?
たぶんそうだろう、と思いつつ、氏の生作品をもう一度見たいと思ったのと、超リアルな具象絵画を描く
画家、諏訪敦氏と鈴木理策氏本人との対談が、田辺市立美術館があることを知って、生・鈴木理策
観たさに参加した。
真面目なことを書くと、この対談で、写真のように描ける画家が写真をどう思っているのか、というのと
絵画に興味を持っている写真家が、絵画を超えようとしているのか、そこんところのぶっちゃけトークで
「絵画VS写真」の大バトルを期待して行ったが、まあ、二人とも大人だから短い時間で本音をぶちまけて、
大喧嘩になる、ということはなかった。
画家は言う、写真機の登場で絵画は死んだと言われ、絵画はそれを乗り越えようと「変幻自在に
様式を変えて生き残っている」と。写真家は言う、見るという行為で写真を捉えれば、それは絵画と
共通する「時間の揺らめきの表現である」と。
フムフム、と聴いていてふと思ったのが、画家(諏訪氏の場合)は語れるねー、ってこと。
超リアルな具象絵画であるけれど、それは架空の世界を自らが構築して、その考えを時間を費やして
表現しているから(諏訪氏の場合)、そこまでの過程を語れる。つまり、思考の過程を作品が
出来上がってくる過程と共に語れる。これは、諏訪氏だけではなく、真っ白な「ゼロ」の出発点から
「色」や「形」や「筆の痕跡」が徐々に現れる(表していける)、画家の優位性かなーと。
だって、写真はシャッタースピードの時間で終わっちゃうからね。何分の一秒かのシャッターの速度で、
「ゼロ」が一気に「ゼロ」ではなくなる。過程が何分の一秒、あっという間。もちろん、現像したりプリン
トしたりする過程はあるけれど、それは画家の過程と比べるとはるかにシステマチックで技術的。
そこを語ったって、鑑賞者が興味を持つのは、写真技術の工程に興味を持つ者だけだろう。

しかし、本当は絵画と写真は「VS」というばかげた二項対立でくくることなんてできない。
ジャコメッティの肖像画と土門拳の仏像写真はどちらがリアリティがあるのか?なんて言えないように。
でも、あえて言わせてもらうと、身体の延長線上で表現する「絵画」は、カメラという機械を通して表現
する「写真」より強い。そんなことをこの二人の対談を聴いて思った。

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