2016.11.07 異文化交流
神長官守矢史料館は藤森建築としての魅力に加え、諏訪大社の神長官として、祭祀を司っていた守矢家に
代々受け継がれている史料を展示している。これにも興味を持っていた。それは、アタクシ達関西人はどうし
ても「神様」といえば「古事記」にみられる「農耕神」。収穫祭の祭事をイメージしてしまい、供物のほとんどが
穀物とそれを加工したもの、魚介類。例えば、奈良公園の鹿は「神聖化」されているように、獣類を供物にす
ることはない。農耕文化が勢いを持った比較的新しい時代からの神事。それに比べると、この資料館の展示
を見ると、鹿やイノシシ、ウサギなどの獣類が貢物の中心。これはどうみても弥生以前の、縄文時代から続く
土着信仰が息づいているように感じられる。これは興味深い。アタシ達関西人からみれば異文化。
アタシ達関西人はたぶん、文明という社会が発生した後の、新しい時代に中国・朝鮮半島からやってきた末
裔。この地域の人々はそれ以前の縄文人の末裔。それでは縄文人の祖先は、どこから日本列島にやってき
たのだろう。最近、その歴史が解明される糸口をつかむ研究が発表された。

現在の日本列島に住む人々は、形態や遺伝的性質から大きく3つの集団、アイヌ、本土日本人、琉球に分
かれる。この3集団にはどのような成立ちがあるのだろう。数千年、土に埋もれていた縄文人のDNA配列解
析から現代へとつながる歴史が見えてきた。
これまで、縄文人の起源が東南アジア、北東アジアのいずれかについての議論が長く行われてきた。形態
的には東南アジア人に近いが、縄文人のミトコンドリアDNAと現代人のDNAを用いた遺伝学的研究からは
北東アジア人に近いという結果が出ていたのである。今回私たちが得た配列を現代人と比較したところ、縄
文人はいずれにも属さず、東アジア人の共通祖先から分岐したという系統関係になった。
つまり縄文人は、これまで考えられていたより古い時代に他の東アジア人集団から孤立し、独自の進化を
とげた集団である可能性が出てきたのである。縄文人がいつ、どこから日本列島にやってきたのかを知る
ためには、今後、多くの縄文人と他の地域の東アジア古代人の核ゲノムを解析することが必要である。
(http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/087/research/1.htmlより抜粋)

アタクシは縄文文化が好きだ。それはたぶん、土器や土偶のデザインがどうも理解しがたいからだ。
上記の研究成果を読んでなるほどと思った。縄文美術の「理解しがたさ」は、我々現代人のDNAとは異な
るところからきていたのだ。つまり、私達関西人にとっては異文化。神長官守矢史料館のあと、茅野市にあ
る尖石縄文考古館の展示を見て、その異文化の「わからなさ」と「パッション」に圧倒された。

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