2016.11.10 達筆にもほどがある
【生誕300年 若冲の京都 KYOTOの若冲】京都市美術館にて

今を時めく伊藤若冲。なぜにこれほどの人気を博すのか?
たぶん、絢爛豪華、キュートにして微細な「樹下鳥獣図屏風」や超具象的表現の「群鶏図」にみられる
尋常じゃない細部の描きこみが、普通の日本画じゃない「奇想の画家」としても評される特殊性からだろう。
しかし、この二作品、それはそれは敵もさる者(主催者のことね)、同時に見られるようなプログラムは組ま
ず、この時期(つまり11月中旬)は両方ともみられない端境期で、拍子抜けするぐらいあっさりとした水墨
画のオンパレード。だからか、入場者も言うほどのことはなく、わりとじっくりと観られることができた。
で、その水墨画であるが、今まで見てきた水墨画と比べても尋常じゃない線のきれいさと墨の濃淡の美しさ!
例えば、アタクシが宇宙一の水墨画だと思っている長谷川等伯の松林図屏風を隣に持ってきたとしよう。
たぶん、松林図屏風の荒々しい筆さばきや墨の色の安っぽさが眼についてしまうだろう。
まあ、それほど若冲の水墨画は繊細にして丁寧。高級感がある。全品見応え十分。

jakuchu01.jpg

それはそうと、一幅の水墨画を観ていてふと思った。水墨画って基本、一発勝負の世界。いらん考えを持
たずに一基果敢に攻める絵画。観てるだけじゃもったいないので、もし自分がその絵を描くとすると、どこ
からスタートして、どこで終わるのか妄想してみた。
例えば、この作品。重なった二羽の鶴を描いた作品だが、あなたならどこから攻める?

まず、薄墨で手前の鶴の胴をひと筆で一気に円を描き、続いて尾っぽを濃い墨でちゃちゃと描き、いや、ま
ず足か?それとも、尾っぽのグレーの部分か?まあ、とりあえず、細い筆に変え、頭くちばし、奥の鶴の頭
部を一気に描き、筆を刷毛に変えて、地面のニョロニョロした線をサアーッと引いて、また、細い筆に変え、
手前の鶴の嘴、足の点々、ニョロニョロの上に重なるように点々を打ち、他、細部を仕上げて一著上がり・・
・・・・その間五分。
なんて、アタクシできっこない。第一、完成した作品を見ながら文章を書いていても「?」と迷う部分があるく
らいだから、自分ではできないけれど、若冲になった気分で制作の追体験、バーチャル制作っていう面白い
遊びを発見した。まあ、何点かやってみたけれど、実際にはできっこないから途中で空しくなったけれどね。
観終わって、若冲って筆達者だなー思った。いや、筆記用具として、筆と墨を使っていた時代の日本人はみ
んな筆達者。だってそれを使うしかないんだもの。だから、毎日使っていると自然と筆・墨・水の使い方を体
が覚える、基礎ができている。もう、現代日本人とはベースが違う。現代では毛筆自体、伝統工芸になっ
てしまった。「筆達者」という言葉も死語にちかいか、特殊な語句になってしまった。こんな風にパソコンで文
字入力が当たり前になって、最後には話し言葉を文字に変換すことしかしない人間の時代が来たら…。

杉本博司のロストヒューマンじゃないけれど、文字を書かなくなった人類は、どんな絵画を残すのだろう。

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