2015.12.31 2015年の○と×
年々、ブログの更新回数が減ってきてはいますが、まあ、良い。Let it be
今年もしつこく○と×

○は衝動買いをしなかったこと。
2012年の暮れに FUJIFILM X-E1 を買って以来、カメラ本体を買っていない、と自慢しておこう。
マイナーチェンジしてX-E2になったが、全然大丈夫。
それと、35mmフルサイズのデジカメも手に入れられるお値段になってきたが、それほど食指がわかない。
そんなこともあって、楽しい楽しい(アタクシがね)カメラレビューを書くこともできないが心配いらない。
来年春にはきっと新しいカメラのレビューをお披露目することができるでしょう(たぶん)
どんなカメラか?
ヒント・アタクシはデジカメは好きだが、フルサイズデジカメにはいかない。小っちゃいのが好き。

☓は写真の公募に応募したけれど連敗。それに個展を開く勇気がなかった、残念。
自分が良いと思っても、相手に伝わらないと何にもならない。

今年の夏、デモに参加した。
色々な考え方があるから、それはそれで議論して、ちょうどいい塩梅の着地点があると思うし、
大切なことを決めるには時間がかかっても仕方のないことだと思うのだが、今の流れには疑問を持っている。
その流れとは、権力者が、自分が理想であると思っているこの国の未来の姿に変えるために、用意周到な準備と
綿密な計画のもとに社会をコントロールし、近い将来、彼らが望む最終地点に着地させようとしているような流れ。
その政治家達の姿が悍ましく見える。
だって、「自分が理想であること」と、一億数千万人の「命と生活を守ること」とは全く別次元の話。
「国」は「民」のためにある。そこんところ勘違いしている政治家の横暴な考え方に大きな×。
来年、私たち選挙「民」が、今の権力者がぶら下げる目の前のニンジンを追いかけるのか、それとも、
彼らが考える日本の理想像が、後世の日本人の「命と生活を守ること」になるのか、我々の想像力を
最大限必要とする年になることは間違いない。2016年、なかなか刺激的な一年になりそうだ。

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2015.11.18 自動運転
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京都で開催された科学技術をテーマとする国際会議で、「東京五輪・パラリンピックがあるので見に来てください。
自動運転車がきっと走り回っている。皆さまに使っていただける」なんて言った人がいる。
日本の技術力を世界にアピールしているようで、実は自分の求心力を強調したいがための戯言?
大手自動車メーカーも、その戯言に同調してやたらとCMに励んでいるのは、彼を「よいしょ」しているのか?

実際にスバルのアイサイトを試してみると、なるほど楽ちんで、ハンドル操作だけで、あとは車任せで安全に
移動できる機械になりつつあるなー、と思ったのは事実でそこに「未来」がありそうな気もする。
しかし、人の行為を無視した「自動車」が本当に人にとって必要な道具のあり方なのか?と、
走行距離20万キロに近づきつつあるレガシーツーリングワゴンを運転していて思った。

スマホを見ながら運転していても追突しない。居眠りしていても目的地に近づいていく。
交差点で人を感知すれば自動的に一旦停止。交通法規を知らなくても大丈夫、小学生の楽しいおもちゃ???
衝突回避のための自動ブレーキは良しとしよう、それ以外はちょっと違うんじゃない?というのがアタクシの結論。
そんなものより、運転者を監視するシステムの方が良いんじゃね?
例えば、ドライバーの目線が進行方向からずれると警報装置が鳴るとか、イラついた運転をしそうなら
エンジンかからないとか、集中力欠いた運転をしていると、エンジン止まるとか・・・・。
事故のほとんどが人的ミスであるなら、それをシステムがフォローするのは最低限度にして、
ドライバー自身をある程度の緊張感を持たせて運転させるシステム。
人間のやっていたことを機械がやるようになると、人間の身体能力はどんどん退化するんじゃない?
人間は楽をしたがる。機械が賢くなると人間はアホになる。そんな未来。
自動運転、そんなに明るい未来じゃないような気がするのですが・・・。



2015.11.05 続・欲しい車一気乗り
アタクシは小さな車が好きだ。
でかい車でブイブイ言わせるタイプではない。
そんなことで、婦女子に人気のフィアット500とパンダに一度乗ってみたいと思っていた。
フィアット500は何と言ってもツインエアー。900CCのターボチャージャー付きの2気筒エンジン。
超高性能エンジンを積んだアバルトなる派生車もあるが、あれは、まあいいや・・・・・
2気筒エンジンを目いっぱい使って走るのが、かっこいいじゃない?
マニュアルミッションのタイプもあったが、バッテリーを外した展示車しかなく、試乗車は5段AT「デュアロジック」。
ポンポンと早めにシフトアップすると、トコトコと走るし、引っ張ると結構元気に走る。
しかし、オープンエアーを満喫できるホロ屋根の「500C ツインエア ラウンジ」が欲しいと思って
見積もりをとってもらうと、なんと290万円、それも色が2色からしか選べない。これじゃーなー。
フィアット・パンダ、本国では大衆車として大量に販売しているのだろうけれど、日本では超マイナー。
日本での年間販売台数は、微々たるものらしい。そんな少量販売台数で、こんなバージョンが
欲しいってユーザーがリクエストしても、それは無理な話ですよ、と若いセールスマンが話していた。
まあ、日本の軽自動車をイタリアで売ると、こんな風になるんだろうな。
そんなわけで、これも小ロットしか輸入されていないマニュアルトランスミッションモデルのパンダにも
試乗させてもらった。イタリアの実用車はマニュアルで運転したら楽しいのだろうかっという課題。
昔、オヤジに借りて運転していたカローラバンを思い出した。つまり、まんま実用車だ。
ロードスターやS660のマニュアルのような、「操作する喜び」のようなものは感じられない。残念
はい、それでは、ここまでのところアタクシが魅力的に感じたのは
1位・ロードスター、2位・フィアット500ツインエアー、3位・ボルボV40 D4 、4位・パンダ、5位・CX3。
しかし、このあとロードスターより刺激的な車にで出会ったのです。それは・・・
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2015.11.01 欲しい車一気乗り
クルマ好きの昭和の少年たちは、新発売された車のカタログ欲しさに、自転車でディーラーめぐりを
したものだが、当然、自転車で来た少年たちを営業マンたちは笑顔で出迎えてはくれない。
しかし、平成になって中年になった昭和の少年が、買い替える気もないのに、自分の車を
「お客様用駐車場」に乗りつけると、営業マンたちは、満面の笑顔を見せながら運転席の横までやってくる。

・・・・ということで、暇つぶしに「乗ってみたいなー車、一気乗り遊び」を職場の先輩二人でやってみた。

一台目・・・・ボルボV40 D4 SE(FF/8AT)
今、エンジンのトレンドは、良いも悪いもディーゼルである。
良い方は、マツダがスカイアクティブディーゼルエンジンで怒涛の勢い。
悪い方はワーゲンが嘘ついてまでアメリカでの販路拡大を狙って大失態。
そんなディーゼルエンジンを積んだスウェーデン製のボルボV40、こみこみ約450万円
2000CCの排気量のディーゼルターボエンジンは、トルクの塊。普通の公道でちょっと
アクセルを踏み込んだだけで、背中がシートに押し付けられる、という経験ができる。
もちろんディーゼル特有の振動や音もほとんど気にならず、安全装備も万全とくれば
魅力的ではあるが、450万円も出すなら(出せないけど)「これ!」っていう感じじゃないな。・・・と思って次!

二台目・・・・マツダCX-3 XDツーリング
じゃあ、日本が誇るマツダのスカイアクティブディーゼルエンジンはどうよ。
1500CCのターボディーゼルを載せた、こじゃれたSUV、カッコイイ!
しかし、ボルボのあとじゃー分が悪い。エンジンのスムーズさや振動の無さはたいしたものだが、
500CCの差はいかんともしがたく、物足りないと言わざるを得ない、でもこみこみ320万円、リーズナブル。
??320万円?・・・・ロードスターが買えるじゃないか!そうだ、マニュアルのロードスターを運転させてもらおう。
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2015.10.08 「軽薄短小おじさん」VS「洞窟おじさん」
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将来の国の在り様を左右する大事なことを、問題を解決する様子もなく、ゲームをしているかのような態度で
決めちゃった政治家さん達にはあきれるばかりで、その人たちと同じ世代であるワタクシは恥ずかしい限りで
ある。しかし、その政治家さんたちに真っ向勝負した若者には「やるじゃないか」と拍手を送りたいし、その政
治家さん達は若い世代に選挙権を与えたことでもあるし、これから先の日本の行く末は若者に任せておいて
ワタクシたち軽薄短小世代はそろそろ社会の中心から身を引いたほうが良いと思う今日この頃・・・・・
そんな憂いな気分のワタクシは相変わらずテレビ大好きおじさんである。

そんなワタクシがNHK BSスペシャルドラマ「洞窟おじさん」の再放送の初回を見て心ときめいた。
親の虐待から逃れ、わずか13歳で山奥に逃亡。洞窟に隠れ住み、その後43年間ものサバイバル生活を経て
発見された男の実話をもとに作られたリリー・フランキー主演のテレビドラマだ。
心ときめいた気分が冷めやらぬまま、たまたま入った本屋さんに平積みされていた原作を発見。一気に読み
終えて感じたのは、作者でもあるこの男性の生存をかけたホームレス時代の日々は、壮絶ではあるがとても
魅力的に感じたことだ。その魅力はなんなのか考えてみると、彼はその狩猟生活で生きるために考え、工夫し、
失敗し、成功することで生きる力を蓄え「死ななかった」ということだ。
生きるための純粋な努力 - これほど崇高な生はない。
彼は自らそれを選んだわけではなく、その境遇から、たまたま「そうせざるを得ない」人生を歩んだだけのこと。
ただ、それだけの事ではあるが、「与えられたモノ」を消費するだけでは得られない生き方であることは確かだ。

消費の快楽に酔いしれ、金にまみれた夢を見た軽薄短小世代の私たちはどうだ?
経過より結果を優先し、大事な問題を時間をかけて解決しようとする努力もせず、経済だけが頼みの綱で
自分の(かどうかは怪しいが)意思を強引に主張するだけのお坊ちゃま政治家達が、我々おじさんの代表ならば、
そいつらに「洞窟おじさん」の爪の垢を煎じて飲ませたい、と思うのは私だけだろうか。