2017.06.08 ホモサピエンスも困りもの
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Fuji FinePix X100

我々「ホモ・サピエンス」は「想像する」ことができるが、他の人類(たとえばネアンデルタール人)はそれが
できない、つまり、ホモ・サピエンスが他の人類に対し優位性を発揮できたのは、想像力のおかげであると
いう説。「認知革命」というそうです。先日、我々「ホモ・サピエンス」と他の動物との決定的な違いは何か、
ということを、おもしろおかしく解説してくれていた深夜のバラエティ番組で知ったことです。

だから、目の前で起こっている現実の世界だけでなく、主観的な世界(妄想でもある)、それも大勢の人が
共有する『共同主観的』な想像の世界にも暮らせるようになった。それが、伝説や神話、神々、宗教を生み
出し、それを共有する者なら誰もが柔軟に協働する能力を獲得した・・・・そうです。

番組を見ていた最初、「なるほどねー、そうだよねー芸術がそうだもんねー、やっぱホモ・サピエンスって
偉い!」なんて思っていたんだけれど、それが、それ以外のこと、例えば貨幣経済や国境、宗教対立なんて
いう、現代人が抱えている問題のすべてが、ほぼこの「想像力」があるがための問題でもある、ということが
解ってきて、いつのまにやらホモ・サピエンスはこの想像力による虚構に縛られた世界で生きてるんだなー、
となんだか空しくなってきた。空しくなったついでに、ニュースを賑わしている様々な政治的トピックを遠目に
見ていると、そのほとんどが、権力を手に入れた者の主観的妄想と、それに忖度して出世しようとする者や、
儲けようとする輩と、その反対勢力のごく私的な虚構世界に、我々が踊らされているような気がしてため息し
か出ない。いや、そんなことを言っている場合ではない。
今こそこの社会を、こんなくだらない妄想から現実世界に引き戻さなければ、とんでもない未来になってしま
うのではないか、と「想像力」を働かせなくてはならない、と想像してしまうわけです。

2017.05.15 難解さを楽しむ
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国立国際美術館で開催されている「ライアン・ガンダー ― この翼は飛ぶためのものではない」という
展覧会を観に行ってきた。ライアン・ガンダーとは「誰だ?」
作者は、1976年イギリスに生まれ、母国とオランダで美術を学び、2000年代初頭から世界各地で
個展を開催するとともにドクメンタなど著名な展覧会にも参加してきたコンセプチュアル・アーティスト。
日本では初個展だそうだ。いやー、コンセプチュアル・アートちゅーのは本当に難解じゃのー。

まず、「コンセプチュアル・アート」ちゅーのはなんぞや?という話ですが・・・・
Weblio 辞書によると、1960年代以降の現代芸術の潮流の一。作品における物質的側面よりも観念性・
思想性を重視し,記号・文字・パフォーマンスなどによる表現を目指す芸術。・・・だそうな。
まあ、ワタクシが最も尊敬する芸術家、マルセル・デュシャンがそうですわな。だから、この作家もこの
流れの中にいるわけですから、ワタクシは即座に「面白かったよー」とか、「良かったよー」という感想を
述べるべきなのでしょうが、実はそんなに簡単に理解できない。つまり、わからない。わからないから、
事前に入手したテキストに書かれている「題名」を確認しながら作品を見る、という非常に時間をかけて
ゆっくりと観ないと、その「良さ」というか作者が言わんとしていることがこちらに伝わってこない難しさ。
仮に、題名を知ったとしても相手は外国人。日本語の題名は「翻訳」だろうから、奥に潜む真意のほども
すべてわかるわけではない。情けないのー。(翻訳本を読んでいるときの違和感に似ている)

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デュシャンも初見ではなーんもわからなかった。「こいつは何かおもしろいこと考えているぞ」という曖昧な
興味から、自伝や研究本を読んだり、今まで日本で開催された回顧展やら公立美術館にある所蔵作品を
何度も見て、やっと自分なりにデュシャンの脳みその中を解釈したような気になっている。だから、この作
家の作品も今回の展覧会だけじゃ、なんか消化不良な感じ。かといって、これからも注目したいか、といえ
ば、残念ながらそうでもない。そうでもない理由は、こっちが歳をとりすぎた。情けないことに脳みそが固ま
ってしまっているから柔軟に対応できない。脳裏に浮かぶ言葉は「次世代」。そういえば、見学者のほとん
どが、すべてと言っていいぐらい作者と同年代か、それより下の年齢。小難しい理屈など、どこ吹く風。
きゃっきゃしながら楽しんでいる若い女子の二人連れの姿を見ているとなんだか羨ましく、本来の美術を
愛好する姿に感じられた。
あ、そうそう、楽しめるっていう意味では、「あまりにも英国的というわけではないが、ほぼ英国的」という作
品や「僕はニューヨークにもどらないだろう」という作品は楽しめた。どんな作品かは言わないが、能動的に
鑑賞しさえすれば、必ずそばにいる監視員の人と会話ができる(笑)。もしかしたら、このような表現がコン
セプチュアル・アートの醍醐味かもしれない。それに、作品を観る前に、作者がインタビューを受けながら
自作品を解説しているビデオを流しているので、それを見てから会場を回る方がより楽しめるかも・・・。
2017.05.07 写真フェスティバル「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2017」
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GRⅡ

毎年5月になると京都で写真フェスティバル「KYOTOGRAPHIE」が開催されている。
なんだかんだと、3年連続でこの写真祭を観に行っている。
ゴールデンウィークの京都は観光地以外は人出も少なく、案外ストレスなく楽しめる。
今年のテーマは「LOVE」。まあ、そんなテーマにとらわれることなく、気になる作家の作品を楽しんできた。
よろしかったのは、沖縄出身の山城知佳子の三つの作品。
特に感銘を受けたのが、2009年に制作された「あなたの声は私の喉を通った」
サイパン戦玉砕を体験した沖縄の高齢者の語りを、自らの口を通して再現しようとする映像作品で、
彼女自身がモデルとなり、老人の声が彼女の口の動きと同化している様を映像化したものであったが、
声だけではなく心の動きまでも再現したように涙を流すシーンは、彼女が、死者が「憑依」したイタコと
化したかのように、老人が語る以上に、その壮絶な体験を感じられた。
過去を無視して、国際情勢を声高に叫び、国民に恐怖心をあおる輩どもに、見せてやりたい作品。
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2017.05.03 もう一つ別の世界
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すっかり写真関係から車関係のブログに変身しつつ、その世界にどっぷり浸っておりますが、
カメラと違い、車は専門的知識と技術いうのが重要な気がしてなりません。
で、ネット情報ではロードスターを所有する諸兄の、それぞれの力量で改造、改良を施しているのを、
指をくわえながら拝見させていただくだけでしたが、その手のプロの青年に我が赤蛙ちゃん(正面か
ら見ると笑っている蛙顔のように見える)のオーディオ関係の改良を相談したところ、「やりましょうか」
ということとなり、ここに我が赤蛙もいっぱしの改良を施すこととなりました。

フロントスピーカー交換と、それに付随した左右ドアのデッドニング・・・・これが今回の改良箇所です。
音量を上げると、高音がビビり音に変わるスピーカー、25年も経てば劣化しているはず。
幌を上げた状態で走ると、室内にこもる騒音。この二つを少しでも改善しようとのもくろみです。
その工程を紹介するのに、たった四つの画像からはお伝えするのは無理な話ですが、まあ、こんな
感じで1日かけて作業は終了。(詳しい説明やら工程は他サイトに委ねます)
下準備に少し苦労しましたが、施した甲斐のある改良であったと報告しておきます。

カメラにしても車にしても、男の子の趣味としては定番としてあるわけですが、そのカテゴリーの中に
も色々な棲み分けがあって(鉄道ファンなんかで「乗り鉄」とか「撮り鉄」とかあるように)、それぞれの
楽しみ方をするものです。たぶんこの車を買わなければ(というか、中古車を買わなければ)、ワタク
シはデッドニングを施す、というような世界を知らないままの車趣味に終わったことでしょう。
このロードスターを得て、運転する楽しさだけではなく、こんな楽しさを知ったことを嬉しく思うし、
それと共に、新しい趣味世界に誘ってくれた息子ほど年齢の離れた青年に感謝。
(ただし、腰の具合がちょっと・・・・)

2017.04.16 オープンエアモータリング
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自宅から尾鷲へ、R166~R422と山岳路を抜けて熊野灘を観に行く、往復400キロの一人ロングドライブ。
オープンで走るには秋から冬がベスト・・・
なんて、訳知り顔で言っては見たものの、いやはや、春はサイコー!
往復8時間、ひたすらオープンで走る、トンネルだろうが小雨が降ろうが、どんどん走る。
屋根のついている車なんてつまらない、自己満足でも、こんな開放感を味わえるなら一人でも構わない。
遠い昔、バイクで八ヶ岳周辺を走った時の気持ちよさを思い出した。
思わず「おおー!」と運転しながら吠えた。
手に入れてから、なんだかんだと2週間に一度は、工場に手入れや修理のお世話をかけ、最新の車の
情報を仕入れていると、決して楽ではない古いこの車に、正直ちょっと後悔する気持ちがどこかにあった
のだけれど、いや、本日、吹っ切れました。本当に買ってよかったなー、と。
オープンエアモータリング。この醍醐味を味わえる唯一無二の存在。もう、それだけで十分。

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2017.04.06 人の手が及ばぬモノ達
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PLAUBEL makina 67
2017.02.28 2か月、3000キロ
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Vivitar Ultra Wide&Slim

「昔憧れたスポーツカーを、今、おじんが無理せず普段使いすることができるか」という壮大な実験も
はや2か月、走行距離3000キロ走った。職場までの距離片道約20キロ、毎日往復して、2か月の通
勤で走った距離は約1500キロ。うむ、燃費命の最新のハイブリッド車やディーゼル車に乗っている人
から言わせると、現在までの走行距離からすると、生活に必要なガソリンの半分は無駄に使い、地球
環境に負荷をかけまくっている不届き者になるわけだ。
その不届きの原因は「普段使い」をしているだけだと、ストレスが溜まってしかたがないから。
何と言っても「楽ちん」が(人差し指と、親指の間約1センチ)これっぽちもない。自動車を運転していて
楽ちんだなーと思うのは、車外から隔離され、オートエアコンで車内温度も適温で管理された静かな
空間で、オーディオから流れる自分の好きな音楽に耳を傾け、片手でスタバのソイラテなぞを飲み
ながらのんびり走らせる、というような時。マニュアルミッションのロードスター、そんなことが夢のよう。
まず、車内の温度管理はレバーを調整しながら自分でしないといけない。音楽は騒音と同居している
から聴いていてもそれほど心地よくない。片手でコーヒーカップなんか持ってミッション操作できないし、
第一「カップホルダー」なぞという便利グッズは今の車のように常備していない。
だから、車を安全かつスムースに操作することに忙しく、「楽ちん」している暇がない。
暇がない=ストレス・・・溜まるよねー。
で、そのストレスを発散するために、運転するわけです。「?」運転する?矛盾。
日常のストレスを「安全かつスムースに操作すること」で発散する。そっ、ワインディングで。
だから、2か月、3000キロの走行距離のうち、1500キロはストレス発散。週に2~3回は遠回りして
帰宅。少し時間に余裕があって晴れていればオープンで。季節の変わり目の微妙な気温の差を肌で
感じ、オーディオを消して、エンジンの音を聴きながら走っていると、スイッチが「日常」から「非日常」
にパチツと切り替わる。これがたまらん、快感。
ただ、「おじんが無理せず普段使いすることができるか」という命題は、現在のところ、「無理するとね」
というのが、正直なところ。逆に考えると、今までぬるま湯に浸かっていたんだなー、とも言える。
ま、最新の屋根が電動で開くロードスター RFのオートマチックなぞを手に入れると、ぬるま湯に浸か
りながら、楽ちん運転できるんだろうね。(ちょっと羨ましい)

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