2021.11.18
オリジナルスピーカーの制作 ( 肝は設計図にあり )
スピーカー制作の最大の肝は設計図である。
( prologue )の画像がそれであるが、知人が故・長岡鉄男氏の考えた設計をワタクシの要望に応えてサイズを変えたものを作ってくれた。その画像の右側は、ホームセンターでベニヤ板をカットしてもらうための指示書。知人は数本作った経験があり、知識も豊富なので、こんな図面をあっという間に作ってくれたが、初心者には到底無理。つまり、今回の工作はその方がいればこその「自作」と言える、というかほとんど注文したようなもの。ワタクシは彼の指示に従って組み立てるだけである。

画像左から、仮組み、ユニット部、外板、完成の順を示したもの。
難しくて手間のかかったのはユニットをはめる穴。板を円に切り抜く電動工具だとあっという間にくり抜けるが、こちとらオール手動。錐と鋸とやすりで空けた。あとは、板と板の合わせ目をキッチリと合わせる丁寧な作業を心がけ(と教えられ)、慌てずに取り組めた。いやー、できたときは感無量。今までいろんなものを作ってきたが、これほど気を使って作った工作物はなかった。

知り合いの作業場にて。
手前にあるのは、知り合いが20代の頃に友人と二人がかりで作ったというスピーカー。40年たっても何の問題もなく、朗々とした音を出してくれていた。このスピーカーの音が自作スピーカーを作る決心をさせてくれた。
・・・to be continued
( prologue )の画像がそれであるが、知人が故・長岡鉄男氏の考えた設計をワタクシの要望に応えてサイズを変えたものを作ってくれた。その画像の右側は、ホームセンターでベニヤ板をカットしてもらうための指示書。知人は数本作った経験があり、知識も豊富なので、こんな図面をあっという間に作ってくれたが、初心者には到底無理。つまり、今回の工作はその方がいればこその「自作」と言える、というかほとんど注文したようなもの。ワタクシは彼の指示に従って組み立てるだけである。

画像左から、仮組み、ユニット部、外板、完成の順を示したもの。
難しくて手間のかかったのはユニットをはめる穴。板を円に切り抜く電動工具だとあっという間にくり抜けるが、こちとらオール手動。錐と鋸とやすりで空けた。あとは、板と板の合わせ目をキッチリと合わせる丁寧な作業を心がけ(と教えられ)、慌てずに取り組めた。いやー、できたときは感無量。今までいろんなものを作ってきたが、これほど気を使って作った工作物はなかった。

知り合いの作業場にて。
手前にあるのは、知り合いが20代の頃に友人と二人がかりで作ったというスピーカー。40年たっても何の問題もなく、朗々とした音を出してくれていた。このスピーカーの音が自作スピーカーを作る決心をさせてくれた。
・・・to be continued
2021.11.18
オリジナルスピーカーの制作 ( 良い音って何だろう?)
「自宅で音楽だけを聴いて過ごす」って、なかなか高尚な趣味ですよね。
第一自宅にいなくちゃいけない。それにじっとしていなくちゃいけない。
社会に関わって働いている方々は、一日中他人と関わって動いているからそれどころじゃない。
一人作業をするにしても、それに集中しないと肝心なところでミスをしかねない。
だから、音楽を聴けるのは「片手間」であったり、「移動中」であったり、音楽を聴くことは2次的な要素が強い。でも、音楽は必要です。ワタクシも「ながら聴き」。今も音楽を聴きながらこの文章の文字をキーボードに打ち込んでいる。流れているのはライ・クーダのライブ音源。聴きながら次の文節を考えている。
本格的なオーディオで音楽を聴く醍醐味は、何といっても演者が紡ぎだす音をリアルに感じられる時だ。醍醐味とは、ボーカリストの吐く息、ベースをつま弾くときの指と弦が擦れる音、スティックがシンバルに当たる瞬間の音、そんな音を目の前で聴ける喜びみたいなものじゃないだろうか。これは「ながら聴き」では体験できない。今どきの音楽の聴き方はヘッドホンで聴くことが多いと聞く。高性能なヘッドホンだと「ながら聴き」していても良い音で聴くことができるし、それで十分満足してます、という声が聞こえてきそうだが、しかし、スピーカーから空気を伝って体に感じる良い音もあるのだよ、と音楽好きのおじさんは主張したい。
使ったスピーカーユニット(いわゆるスピーカーの心臓部)

左側が中心になるユニットで、FostexというメーカーのFE206En(生産終了品)
標準価格¥13,600+消費税、左右2本で¥29.920
右側は高音域を受け持つユニットで、同じくFostexFT17Hホーンツィーター
標準価格¥6,600(税込)/1台、これも2台¥14.520
上を見ればキリがないが(もっと高価なユニットはある)、入り口としては十分なユニットのようだ。
合計¥44.440
このユニットを入れる箱が最も大切・・・らしい。
ここからは知人の知識の助けを借りての作業となる
・・・to be continued
第一自宅にいなくちゃいけない。それにじっとしていなくちゃいけない。
社会に関わって働いている方々は、一日中他人と関わって動いているからそれどころじゃない。
一人作業をするにしても、それに集中しないと肝心なところでミスをしかねない。
だから、音楽を聴けるのは「片手間」であったり、「移動中」であったり、音楽を聴くことは2次的な要素が強い。でも、音楽は必要です。ワタクシも「ながら聴き」。今も音楽を聴きながらこの文章の文字をキーボードに打ち込んでいる。流れているのはライ・クーダのライブ音源。聴きながら次の文節を考えている。
本格的なオーディオで音楽を聴く醍醐味は、何といっても演者が紡ぎだす音をリアルに感じられる時だ。醍醐味とは、ボーカリストの吐く息、ベースをつま弾くときの指と弦が擦れる音、スティックがシンバルに当たる瞬間の音、そんな音を目の前で聴ける喜びみたいなものじゃないだろうか。これは「ながら聴き」では体験できない。今どきの音楽の聴き方はヘッドホンで聴くことが多いと聞く。高性能なヘッドホンだと「ながら聴き」していても良い音で聴くことができるし、それで十分満足してます、という声が聞こえてきそうだが、しかし、スピーカーから空気を伝って体に感じる良い音もあるのだよ、と音楽好きのおじさんは主張したい。
使ったスピーカーユニット(いわゆるスピーカーの心臓部)

左側が中心になるユニットで、FostexというメーカーのFE206En(生産終了品)
標準価格¥13,600+消費税、左右2本で¥29.920
右側は高音域を受け持つユニットで、同じくFostexFT17Hホーンツィーター
標準価格¥6,600(税込)/1台、これも2台¥14.520
上を見ればキリがないが(もっと高価なユニットはある)、入り口としては十分なユニットのようだ。
合計¥44.440
このユニットを入れる箱が最も大切・・・らしい。
ここからは知人の知識の助けを借りての作業となる
・・・to be continued
2021.11.18
オリジナルスピーカーの制作 ( まえがき )

オリジナルのオーディオスピーカーが出来上がった。
足掛け4年の時間を費やし、作業小屋まで作って完成させた超大作だ。・・・と言っても、肝心の本体はそれに詳しい知人が考えてくれて、ワタクシはその方の指示に従って組み立てただけである。
スピーカーの形式はバックロードホーン型、オリジナルのデザインは自作スピーカー制作の神的存在の故・長岡鉄男氏。なぜ、突然オーディオスピーカーが欲しくなったのか?(話は長くなるので)
ワタクシたちの世代(60代以上の年齢の方々の一部)は、特に、「生の音に近い音を自宅で聴きたい」と思うワタクシ達は、そのような理想を求めて再生機器を購入し、その「音」を聴いて悦にいることを良しとしていた。そして、こういうものは概して他の機械物と同じようにピンキリで、「そりぁ、高級になればなるほど良い音が再生できるよね」という趣味の世界であり、カメラや車は自分ではどうにもできない機械物である。(お金がものを言う)しかし、「オーディオ」は唯一「自分でどうにかなる機械」、再生機器の中で、特にスピーカーが、最も「音の違い」を分かりやすく体験でき、自作しやすいアイテムであることから、ワタクシの周りにも「スピーカーを作った」という方たちはたくさんいらっしゃる。デザインしてくれた知人もそのうちの一人。
おっと、前置きがまた長くなってきた。
で、なぜ、既製品を買わずに自作にこだわったのか、というと・・・
①自宅のスピーカーを置く場所を想定した大きさやデザインのスピーカーが欲しくなったから。
②おもちゃのような安い真空管アンプを手に入れたので、そのアンプを生かしたかったから。
③ベニヤ板で作ったものでも、見た目を気にしなければ立派な機器になりえることを知ったから。
④スピーカーユニットを簡単な工作でアップグレードできることを知ったから。
⑤本体さえしっかり作れれば、あとは楽しい作業(塗装)が待っていたから。
・・・というわけで、高さ96cm、幅28cm、奥行45cmの箱を二つ作ったのでした。
・・・to be continued
2021.07.05
おじさんは溜まり場が欲しいんです
小屋を組み立てていて、ふと思ったこと。
高校生の頃、父親が自宅のある土地の一角にアパートを建て経営をしている友人がいた。
アパートといっても、木造平屋の文化住宅。間口は一間、部屋は4畳半が二間続きだったような。半畳ほどの台所が奥にあり、トイレはもちろん汲み取りで内風呂は当然なかった。今の時代の賃貸からいうと、とんでもない質素な雰囲気であったが1970年代当時は全国どこもこんなもの。水洗トイレ・内風呂のある賃貸マンションなどという洒落たアパートは、地方には珍しい時代だった。
その一部屋を、友達が親からあてがわれ、自分の部屋として使っていたが、親の目から少し離れた場所。漫画好きの本人が集めた漫画本が所狭しと置かれ、最新版を読みたければ、その部屋に行けばあるような部屋。部屋の真ん中には電気こたつと麻雀パイ。もちろん、灰皿もおいている。当然のごとくそこは、当時の「ちょっと不良な」高校生が現実逃避する場所としては理想郷。ワタクシも例にもれず、することのないときは、その部屋に入り浸り、大人が顔を少ししかめるようなことをそこで覚えた。しかし、そこへ集まる友人たちの影響を受け、世界が広がったのも事実。今思い返してみると、今の自分の原型を作った場所がその「溜まり場」だった。
「溜まり場」。なんと、魅力的な場所でしょう。例えば、行きつけの居酒屋やスナックや喫茶店。こんな場所を確保できているおじさんが羨ましい。そこに行けば、気の置けない知り合いがいて、他愛もない話をしながらダラダラと過ごす場所。今、そんな場所がことごとく悪者となり、人々は仕事が終わればまっすぐ家に帰り、他人と接触することにおどおどせざるを得ない環境に置かれています。こんな潔癖で他者との関りが希薄な環境がいつまでつづくのでしょうか?この先、表面的には必ず平穏な社会生活には戻れるでしょうが、溜まり場に自由に出入りできる日が来る頃には、その「溜まり場」がなくなっていた、という悪い冗談にならないか心配しています。

高校生の頃、父親が自宅のある土地の一角にアパートを建て経営をしている友人がいた。
アパートといっても、木造平屋の文化住宅。間口は一間、部屋は4畳半が二間続きだったような。半畳ほどの台所が奥にあり、トイレはもちろん汲み取りで内風呂は当然なかった。今の時代の賃貸からいうと、とんでもない質素な雰囲気であったが1970年代当時は全国どこもこんなもの。水洗トイレ・内風呂のある賃貸マンションなどという洒落たアパートは、地方には珍しい時代だった。
その一部屋を、友達が親からあてがわれ、自分の部屋として使っていたが、親の目から少し離れた場所。漫画好きの本人が集めた漫画本が所狭しと置かれ、最新版を読みたければ、その部屋に行けばあるような部屋。部屋の真ん中には電気こたつと麻雀パイ。もちろん、灰皿もおいている。当然のごとくそこは、当時の「ちょっと不良な」高校生が現実逃避する場所としては理想郷。ワタクシも例にもれず、することのないときは、その部屋に入り浸り、大人が顔を少ししかめるようなことをそこで覚えた。しかし、そこへ集まる友人たちの影響を受け、世界が広がったのも事実。今思い返してみると、今の自分の原型を作った場所がその「溜まり場」だった。
「溜まり場」。なんと、魅力的な場所でしょう。例えば、行きつけの居酒屋やスナックや喫茶店。こんな場所を確保できているおじさんが羨ましい。そこに行けば、気の置けない知り合いがいて、他愛もない話をしながらダラダラと過ごす場所。今、そんな場所がことごとく悪者となり、人々は仕事が終わればまっすぐ家に帰り、他人と接触することにおどおどせざるを得ない環境に置かれています。こんな潔癖で他者との関りが希薄な環境がいつまでつづくのでしょうか?この先、表面的には必ず平穏な社会生活には戻れるでしょうが、溜まり場に自由に出入りできる日が来る頃には、その「溜まり場」がなくなっていた、という悪い冗談にならないか心配しています。

2021.06.16
久しぶりにアート的思考した日
毎年、少なくとも三つ四つ行っていた美術館。感染症が日本に上陸してから、とんとご無沙汰でしたが、最も近場の和歌山県立近代美術館に、新しく館所蔵作品の仲間入りした写真家・奈良原一高の「王国」の一部作品が展示されているのを聞きつけて行ってきました。今までは、大きな美術館で行われる企画展覧会が情報として目に留まりがちでしたが、コロナ禍の中、他府県に行くのも気が引ける昨今、久しぶりに行ってみると、何の何の、我が町の美術館も頑張っています。というか、この美術館に入るのも3年ぶり。自分が知らないだけで、この美術館も少ない予算で良い作品を手に入れていたんだなー、と見直しました。
印象に残ったのが、
ボイル・マーク 「黒いふち石の研究」
久しぶりに見たけれど、その印象は色褪せないねー。このひと、世界地図を壁に貼って、友達にダーツを投げてもらい、当たった場所に行って、その地面を半立体の作品として完コピした人(注・裏付けが欲しかったのでネットで調べてみましたが、あまり詳しい情報がなかったので、たぶん)なんですが、元祖「ダーツの旅」。
鈴木理策 「海と山のあいだ」シリーズ3点
杉本博と並んで、我が心の師匠。ベニヤ板1枚分ぐらいの大判プリントで見せてもらえると、魅力度マックス。家に飾りたい。
鴫 剛 「無題 F」
波の写真を絵具で現実をトレースしたモノクロ絵画。168.5×214.5の大迫力。空と砂浜は省略され平面処理されているから、現実ではないところが写真ではない。(当たり前だが、波だけが存在する場面は不思議)
杉本博司 「オイスター・ベイ」
鴫 剛の作品の次に展示されている師匠の博物館シリーズの一つ。こちらは、作り物を現実世界に近づけた紛れもない「写真」。鴫 剛の作品のアンサーか?といらぬ勘繰りをしてしまった。
で、写真に興味を持っていて、昔は、自分でも絵画を勉強していて、モダンアートが好きなワタクシが、館所蔵作品展「もうひとつの世界」に出展しされていた写真やそれに類する作品を見て感じたこと。
同じ視覚伝達系表現の写真も絵画も、どんどんその垣根が取り払われて、写真であるのか絵画であるのかそれは問題ではなくなり、写真、それも投稿写真を売りにしていたアサヒカメラが廃刊になったのは自然の成り行きだなー、という事。(ちょっと雑な言い方だけれど)つまり、アサヒカメラの投稿写真は、写真を撮る人が写真の枠の中で写真を撮っていたから、編集部や選考する人が「はい、もうわかりました」で、投稿写真を選べなくなって、いきづまっちゃったから休刊したんじゃないだろうか。(という、偏見)それはもうSNSの仮想空間で「イイネ」の数で決まっちゃうんだもの、残念だけれど。
じゃあ、お前さんはどうするんだい?と問われれば、何も答えられない。だから、今は、庭に咲いている花を撮ることから始めようかな。
印象に残ったのが、
ボイル・マーク 「黒いふち石の研究」
久しぶりに見たけれど、その印象は色褪せないねー。このひと、世界地図を壁に貼って、友達にダーツを投げてもらい、当たった場所に行って、その地面を半立体の作品として完コピした人(注・裏付けが欲しかったのでネットで調べてみましたが、あまり詳しい情報がなかったので、たぶん)なんですが、元祖「ダーツの旅」。
鈴木理策 「海と山のあいだ」シリーズ3点
杉本博と並んで、我が心の師匠。ベニヤ板1枚分ぐらいの大判プリントで見せてもらえると、魅力度マックス。家に飾りたい。
鴫 剛 「無題 F」
波の写真を絵具で現実をトレースしたモノクロ絵画。168.5×214.5の大迫力。空と砂浜は省略され平面処理されているから、現実ではないところが写真ではない。(当たり前だが、波だけが存在する場面は不思議)
杉本博司 「オイスター・ベイ」
鴫 剛の作品の次に展示されている師匠の博物館シリーズの一つ。こちらは、作り物を現実世界に近づけた紛れもない「写真」。鴫 剛の作品のアンサーか?といらぬ勘繰りをしてしまった。
で、写真に興味を持っていて、昔は、自分でも絵画を勉強していて、モダンアートが好きなワタクシが、館所蔵作品展「もうひとつの世界」に出展しされていた写真やそれに類する作品を見て感じたこと。
同じ視覚伝達系表現の写真も絵画も、どんどんその垣根が取り払われて、写真であるのか絵画であるのかそれは問題ではなくなり、写真、それも投稿写真を売りにしていたアサヒカメラが廃刊になったのは自然の成り行きだなー、という事。(ちょっと雑な言い方だけれど)つまり、アサヒカメラの投稿写真は、写真を撮る人が写真の枠の中で写真を撮っていたから、編集部や選考する人が「はい、もうわかりました」で、投稿写真を選べなくなって、いきづまっちゃったから休刊したんじゃないだろうか。(という、偏見)それはもうSNSの仮想空間で「イイネ」の数で決まっちゃうんだもの、残念だけれど。
じゃあ、お前さんはどうするんだい?と問われれば、何も答えられない。だから、今は、庭に咲いている花を撮ることから始めようかな。